かわいいわん。神坂雪佳の『狗児』です。
某デパートのお中元の広告に使われているので、町でよく見かけますね。
雪佳さんは明治から昭和にかけて活躍した、日本画家であり図案家です。
ここ数年人気が高まっていて、私もそのおかげで出逢うことができました。
最初に目にしたのがこちらの『狗児』。
「きみ、だあれ?」とかたつむりを見つめる子犬のおっとりとした愛らしさに、たちまち夢中になりました。それ以来もっと知りたいもっと見たいとアンテナを立てていましたが、日本画の展覧会でもなかなか会えず、僅かな資料を眺める日々が続きました。
そしてようやくチャンスが巡ってきました。
近代日本画と美術雑誌についての展覧会に出展されているのです。しかもこの『狗児』も!
行かなくちゃと張り切りながら、まずは美術館で開かれた雪佳さんについての講演会に出かけました。
暖かな春の陽気を楽しんだのも束の間、今や日中は初夏のようです。
そんな中、『城の春 さくらの美術』という展覧会へ行ってきました。
会場は美術館ではなくお城です。天守閣が桜でいっぱいでした。
展示されていたのは桜を描いた絵がたくさんと、江戸時代にお殿様たちがお花見をするのに使った道具のあれこれです。
素敵な趣向を楽しませていただきました。
そんな中、『城の春 さくらの美術』という展覧会へ行ってきました。
会場は美術館ではなくお城です。天守閣が桜でいっぱいでした。
展示されていたのは桜を描いた絵がたくさんと、江戸時代にお殿様たちがお花見をするのに使った道具のあれこれです。
素敵な趣向を楽しませていただきました。

おや残念。画像がちょっと不鮮明ですね。
鳥居清長の『仲の町の桜』です。今の季節に合うと思ったのですが....。
クリックしていただきますと美術館のサイトへ飛びまして、そちらではもっと良く見ることができます。
北斎展の後期展示へ出かけて芋を洗うような混雑に完敗した翌日、今度は浮世絵の展覧会に行きました。もうすぐ終わってしまうので、疲れたからと先延ばしに出来なかったのです。
『小堀遠州 美の出会い点』という展覧会に行きました。
今年は遠州がその名の由来となる遠江守に任じられてから400年だそうで、それを記念しての開催です。
茶道のことは全然解りません。
とても興味はあるのですけれど、入り口が見つけられずに壁の周りをぐるぐる回っているような感じです。私のような貧しい者がのこのこ顔を出せる趣味でもありませんし。
情けなくもさっぱり解らない、でも見たいという迷惑な鑑賞者となってまいりました。
今年は遠州がその名の由来となる遠江守に任じられてから400年だそうで、それを記念しての開催です。
茶道のことは全然解りません。
とても興味はあるのですけれど、入り口が見つけられずに壁の周りをぐるぐる回っているような感じです。私のような貧しい者がのこのこ顔を出せる趣味でもありませんし。
情けなくもさっぱり解らない、でも見たいという迷惑な鑑賞者となってまいりました。
東京のサントリー美術館では、『鳥獣戯画がやってきた!』という展覧会が開かれています。
行きたいですよ〜!
「鳥獣戯画」(正しくは鳥獣人物戯画)と聞いてまず思い描くウサギやカエルの絵は、全4巻の内の最初、甲巻の1場面です。以降の巻は一気に製作されたのではなく、年代も画風も異なります。
今回は全巻が揃って展示されるという、とても魅力的な催しなのです。
去年京都で開かれた『大絵巻展』に出品されているのを指をくわえて羨んでいましたが、あの時と同様、またしても巡回なしの単独開催です。
いつか順番が回ってくると信じて、お待ち申し上げておりますよ。ウサギさん。
この展覧会に合わせたのかどうか解りませんが、立派な画集が出たそうです。
『鳥獣人物戯画』(辻 惟雄 小学館)。
とっても面白そうなのです。大きなご本で、甲巻と乙巻は原寸大だそうですよ。 経折本仕立でパタパタッと伸ばせば11m超!
うわ〜、見てみたいです。
解説を辻 惟雄氏がお書きになっているのにも惹かれます。
お値段は42000円也。
む、これを買うお金があったら、バッハのカンタータ全集の方が良いなぁ。
行きたいですよ〜!
「鳥獣戯画」(正しくは鳥獣人物戯画)と聞いてまず思い描くウサギやカエルの絵は、全4巻の内の最初、甲巻の1場面です。以降の巻は一気に製作されたのではなく、年代も画風も異なります。
今回は全巻が揃って展示されるという、とても魅力的な催しなのです。
去年京都で開かれた『大絵巻展』に出品されているのを指をくわえて羨んでいましたが、あの時と同様、またしても巡回なしの単独開催です。
いつか順番が回ってくると信じて、お待ち申し上げておりますよ。ウサギさん。
この展覧会に合わせたのかどうか解りませんが、立派な画集が出たそうです。『鳥獣人物戯画』(辻 惟雄 小学館)。
とっても面白そうなのです。大きなご本で、甲巻と乙巻は原寸大だそうですよ。 経折本仕立でパタパタッと伸ばせば11m超!
うわ〜、見てみたいです。
解説を辻 惟雄氏がお書きになっているのにも惹かれます。
お値段は42000円也。
む、これを買うお金があったら、バッハのカンタータ全集の方が良いなぁ。
『王朝美の精華・石山切』という展覧会へ行きました。
とても素晴らしかったです。
ぶらぼー! ぶらぼー!
疎い分野を予備知識を仕入れることなく見に行ってしまったので、ここからの説明は展覧会の図録とチラシからの受け売りです。
「石山切(いしやまぎれ)」とは、「本願寺本三十六人家集」(国宝・西本願寺蔵)のうち、「貫之集 下」「伊勢集」の2帖の断簡(1冊にまとまっているのではなく、切れ切れになっているもの)を指します。
「三十六人家集」は元々は本の形をしていましたが、1924(昭和4)年に宗教女子大学設立資金とするために、「貫之集 下」「伊勢集」の2帖が分割譲渡されることになりました。その際、本願寺がもとあった地名にちなんで「石山切」と名付けられました。
実際に目の当たりにすると、溜め息をつくしかないような美しさです。
これを小分けして売るなど美への冒涜だ! と卓袱台をひっくり返したくなりますが、美術館の見解はこうでした。文化財の解体ではあったけれど、そのおかげで多くの人の目に触れるようなったのだ、と。つまり、「三十六人家集」は平安の昔から代々天皇家に伝えられ、本願寺に下賜されてからも見ることができたのは身分の高い人だけ。明治以降は人目に触れることすらなかったそうです。
それが機会さえあれば庶民も見られるようになったのです。
なるほど、そう考えれば災い転じてなんとやら、ですね。
さてこの石山切の何が美しいかと申しますと、それはもう「料紙とかな(ひらがなの“かな”です)が織りなすハーモニー」に尽きます。安っぽい表現になってしまって悔しい限りです。
まず料紙。様々な種類、色の紙に文様を摺り出したり描いたりして、それらを組み合わせて1枚の紙にします。大胆な色合わせ、貼り合わせの「きれいレベル」の高いこと!
そこに流れるようなかな文字が載ります。
私は絵画以上に書に疎いものですから、何が書いてあるかは読み取れません。ぽつりぽつりと読める文字があるというだけです。そのため余計に模様のように見えてしまいます。
この文字のレイアウトが料紙と上手く合っていて、作った人の美意識の高さ確かさに驚嘆します。
できればすぐにでもお見せしたいところですが、絵画ではないので画像掲載の是非が判りません。展覧会サイトの画像へリンクしますので、よろしければご覧くださいませ。
『貫之集 下』より
・藤原定信筆 おもひあまり
・藤原定信筆 秋たつ日
『伊勢集』より
・伝藤原公任筆 子日松
・伝藤原公任筆 ふみとめて
こんなに素敵なものを手にしたら、うっとりする以外に何が出来るでしょう。
全部でおよそ100点の石山切が大集合です。これほどまとまって展示されるのは78年ぶりとのこと。良い機会に恵まれて、なんとも幸いなことです。
石山切以外にも他の古筆切などがたくさんありました。石山切の一部は、明治時代に田中親美氏が製作した副本と一緒に展示されています。田中親美氏は『三十六人家集』の他『源氏物語絵巻』の復元模写で有名な方です。本物同様に料紙を作るところから始めた模写の数々は、私など「保存状態の良い本物」と云われたら信じてしまいそうな見事な出来映えでした。
期間中程で半数強の展示替えがあります。
なんとか都合をつけて、残りも見たいと思っています。
とても素晴らしかったです。
ぶらぼー! ぶらぼー!
疎い分野を予備知識を仕入れることなく見に行ってしまったので、ここからの説明は展覧会の図録とチラシからの受け売りです。
「石山切(いしやまぎれ)」とは、「本願寺本三十六人家集」(国宝・西本願寺蔵)のうち、「貫之集 下」「伊勢集」の2帖の断簡(1冊にまとまっているのではなく、切れ切れになっているもの)を指します。
「三十六人家集」は元々は本の形をしていましたが、1924(昭和4)年に宗教女子大学設立資金とするために、「貫之集 下」「伊勢集」の2帖が分割譲渡されることになりました。その際、本願寺がもとあった地名にちなんで「石山切」と名付けられました。
実際に目の当たりにすると、溜め息をつくしかないような美しさです。
これを小分けして売るなど美への冒涜だ! と卓袱台をひっくり返したくなりますが、美術館の見解はこうでした。文化財の解体ではあったけれど、そのおかげで多くの人の目に触れるようなったのだ、と。つまり、「三十六人家集」は平安の昔から代々天皇家に伝えられ、本願寺に下賜されてからも見ることができたのは身分の高い人だけ。明治以降は人目に触れることすらなかったそうです。
それが機会さえあれば庶民も見られるようになったのです。
なるほど、そう考えれば災い転じてなんとやら、ですね。
さてこの石山切の何が美しいかと申しますと、それはもう「料紙とかな(ひらがなの“かな”です)が織りなすハーモニー」に尽きます。安っぽい表現になってしまって悔しい限りです。
まず料紙。様々な種類、色の紙に文様を摺り出したり描いたりして、それらを組み合わせて1枚の紙にします。大胆な色合わせ、貼り合わせの「きれいレベル」の高いこと!
そこに流れるようなかな文字が載ります。
私は絵画以上に書に疎いものですから、何が書いてあるかは読み取れません。ぽつりぽつりと読める文字があるというだけです。そのため余計に模様のように見えてしまいます。
この文字のレイアウトが料紙と上手く合っていて、作った人の美意識の高さ確かさに驚嘆します。
できればすぐにでもお見せしたいところですが、絵画ではないので画像掲載の是非が判りません。展覧会サイトの画像へリンクしますので、よろしければご覧くださいませ。
『貫之集 下』より
・藤原定信筆 おもひあまり
・藤原定信筆 秋たつ日
『伊勢集』より
・伝藤原公任筆 子日松
・伝藤原公任筆 ふみとめて
こんなに素敵なものを手にしたら、うっとりする以外に何が出来るでしょう。
全部でおよそ100点の石山切が大集合です。これほどまとまって展示されるのは78年ぶりとのこと。良い機会に恵まれて、なんとも幸いなことです。
石山切以外にも他の古筆切などがたくさんありました。石山切の一部は、明治時代に田中親美氏が製作した副本と一緒に展示されています。田中親美氏は『三十六人家集』の他『源氏物語絵巻』の復元模写で有名な方です。本物同様に料紙を作るところから始めた模写の数々は、私など「保存状態の良い本物」と云われたら信じてしまいそうな見事な出来映えでした。
期間中程で半数強の展示替えがあります。
なんとか都合をつけて、残りも見たいと思っています。
『美人画の三巨匠 清方・深水・紫明展』へ清方目当てで行ってきました。
3人とも画像を掲載できませんので長々と書くのは控えます。
伊藤深水、寺島紫明の両名は鏑木清方の門下生なので、この展覧会は清方一門会です。まず「美人画」とテーマが限定されている通り、美人画ばかりでした。清方の風俗画が好きな身としては少しばかり残念でしたが、これだけまとまった数(26点)の作品を見る機会はあまりありませんから気合い十分です。
いやあ、きれいでした。
清方の大半は福富コレクションからの出品です。
1番見たかったのは『妖魚』という屏風仕立ての大作です。人魚の絵なのですが、西洋的な空気を纏った妖気を放っていました。西洋的なのに顔は日本人で、真っ白な躰に長い黒髪が絡む姿が淫美です。下町の庶民を涼やかに描く清方が、こういう作品も手がけていたのかと見入ってきました。
深水と紫明は同じ清方門下ながら、深水が清方に近い雰囲気の描き方をするのに対し、紫明はずいぶんと毛色が違うように見えました。どうしてでしょう。顔立ちが違うのかな....。
どうしても清方に意識が集中してしまうのですが、今にも声が聞こえてきそうな仕草や表情の捉え方が秀逸です。笑いさざめく若い娘たちや、静かな恋心を滲ませる女性が多い中、印象深かったのはもっと強い感情を宿したいくつかの作品でした。
恋という花を大切に育てる純朴さではなく、想いの果てに鬼にも蛇にもなりましょうと覚悟を決めた女たちの、なんと強く美しいことでしょう。
ただきれいなだけではない魅力に気づいたことが、何よりの収穫でした。
3人とも画像を掲載できませんので長々と書くのは控えます。
伊藤深水、寺島紫明の両名は鏑木清方の門下生なので、この展覧会は清方一門会です。まず「美人画」とテーマが限定されている通り、美人画ばかりでした。清方の風俗画が好きな身としては少しばかり残念でしたが、これだけまとまった数(26点)の作品を見る機会はあまりありませんから気合い十分です。
いやあ、きれいでした。
清方の大半は福富コレクションからの出品です。
1番見たかったのは『妖魚』という屏風仕立ての大作です。人魚の絵なのですが、西洋的な空気を纏った妖気を放っていました。西洋的なのに顔は日本人で、真っ白な躰に長い黒髪が絡む姿が淫美です。下町の庶民を涼やかに描く清方が、こういう作品も手がけていたのかと見入ってきました。
深水と紫明は同じ清方門下ながら、深水が清方に近い雰囲気の描き方をするのに対し、紫明はずいぶんと毛色が違うように見えました。どうしてでしょう。顔立ちが違うのかな....。
どうしても清方に意識が集中してしまうのですが、今にも声が聞こえてきそうな仕草や表情の捉え方が秀逸です。笑いさざめく若い娘たちや、静かな恋心を滲ませる女性が多い中、印象深かったのはもっと強い感情を宿したいくつかの作品でした。
恋という花を大切に育てる純朴さではなく、想いの果てに鬼にも蛇にもなりましょうと覚悟を決めた女たちの、なんと強く美しいことでしょう。
ただきれいなだけではない魅力に気づいたことが、何よりの収穫でした。
数日前、辻村寿三郎さんの展覧会へ行きました。
人形は、目につけば関心を持ってしっかり見る、という具合に好きです。夢中になってコレクションしたくなると大変なことになりますから、時々見るのがちょうど良いです。
ですからスーパードルフィーもやりません。魅惑に負けそうになることもありますが、きわどいところで踏み止まっています。
今回はジュサブロー人形です。
会場へ入って初めて気がつきました。私は寿三郎さんのお人形をほとんど知らなかったのです。四谷シモンさんや天野可淡さんの人形が好きなので、あんな感じで和風のものをイメージしていました。
わぁ、全然違うや!
お顔が独特ですね。ちょっと怖いぐらいです。
大変な混雑で流されるままに回ったため、作品名をちっとも覚えていません。仁王様のような人形は、顔がどうのと云うよりもその気迫に押され、自然と低姿勢で鑑賞させていただいていました。
女性のお人形は着物の美しさも相まってたいそう魅力的で、前から横からなるべくしっかり見るよう頑張ってきました。
吉原というシリーズが華やかでとてもきれいでした。壁際ではなく空間の中央に置かれた台での展示で、ぐるぐる回ればいくらでも見ることができます。花魁の前を通り過ぎる時は、ふと袖を引かれそうな気がしました。
その吉原よりも印象深かったのが、西鶴五人女シリーズです。名称から判るように、井原西鶴の書いた女性たちです。着物や帯に、寿三郎さんが生んだキャラクター「花うさぎ」があしらわれているのです。かわいかったです〜。
これは5人が横に並んだ展示でしたが、5人は目の前を行き過ぎる人々を「ちょいと」「ちょいと」「ちょいと」....と呼び止めそうな表情をしていました。
ところで肝心の「1番のお気に入り」の名前を忘れるという不手際です。
文楽だったのですよ。文楽人形を手にした人形遣いです。人形がさらに小さい人形を遣っているところがとても好きだったのですが....何ていう名前だったでしょうか。
会場内はおばさまづくしでした。ジュサブロー人形とはそういうものだったのですか。
新・八犬伝というコーナーがありまして、どうやらテレビで放送されていた人形劇のようでした。映像も流れていて、懐かしいという声が方々で上がっていました。人気番組だったのかしら。
人形は、目につけば関心を持ってしっかり見る、という具合に好きです。夢中になってコレクションしたくなると大変なことになりますから、時々見るのがちょうど良いです。
ですからスーパードルフィーもやりません。魅惑に負けそうになることもありますが、きわどいところで踏み止まっています。
今回はジュサブロー人形です。
会場へ入って初めて気がつきました。私は寿三郎さんのお人形をほとんど知らなかったのです。四谷シモンさんや天野可淡さんの人形が好きなので、あんな感じで和風のものをイメージしていました。
わぁ、全然違うや!
お顔が独特ですね。ちょっと怖いぐらいです。
大変な混雑で流されるままに回ったため、作品名をちっとも覚えていません。仁王様のような人形は、顔がどうのと云うよりもその気迫に押され、自然と低姿勢で鑑賞させていただいていました。
女性のお人形は着物の美しさも相まってたいそう魅力的で、前から横からなるべくしっかり見るよう頑張ってきました。
吉原というシリーズが華やかでとてもきれいでした。壁際ではなく空間の中央に置かれた台での展示で、ぐるぐる回ればいくらでも見ることができます。花魁の前を通り過ぎる時は、ふと袖を引かれそうな気がしました。
その吉原よりも印象深かったのが、西鶴五人女シリーズです。名称から判るように、井原西鶴の書いた女性たちです。着物や帯に、寿三郎さんが生んだキャラクター「花うさぎ」があしらわれているのです。かわいかったです〜。
これは5人が横に並んだ展示でしたが、5人は目の前を行き過ぎる人々を「ちょいと」「ちょいと」「ちょいと」....と呼び止めそうな表情をしていました。
ところで肝心の「1番のお気に入り」の名前を忘れるという不手際です。
文楽だったのですよ。文楽人形を手にした人形遣いです。人形がさらに小さい人形を遣っているところがとても好きだったのですが....何ていう名前だったでしょうか。
会場内はおばさまづくしでした。ジュサブロー人形とはそういうものだったのですか。
新・八犬伝というコーナーがありまして、どうやらテレビで放送されていた人形劇のようでした。映像も流れていて、懐かしいという声が方々で上がっていました。人気番組だったのかしら。
福田平八郎展へ行ってきました。
恥ずかしながら近現代の日本画は疎い分野で、平八郎さん(疎いわりにはすっかり親し気)という画家については名前を見てもチラシの絵を見てもピンと来ない、つまり知らない人でした。それでも出かけたのは勉強しようなどという殊勝な心持ちからではなく、チラシ表面に使われていた『竹に雀』の、明るい色彩と平べったい雀に気持ちをくすぐられたからです。
会場に入って最初の作品は『雨後』という屏風。『竹に雀』と違い地が透けるほど薄塗りの萩(かな?)がこんもりと描かれ、雨上がりの匂いが感じられるようです。これは良い感じとゆっくり歩を進めると、一番左、萩の後に鳥が2羽。この「突然鳥さんが!」という驚きに一気に平八郎さんに心奪われてしまいました。
平八郎さんは花鳥画を良くした画家で、それもまた私の好みに合ったのでしょう。
水中の魚を見た時の印象を見事に描き出し、まるで池を覗いているかのような気にさせる『游鯉』。花ではなく木にスポットを当てた『桜』、『初雪』『新雪』などのふと手を伸ばして触れてみたくなるような雪の質感、手ぬぐいにしたら絶対かわいい『葱と雀』......。
どうして今まで知らなかったのだろうという後悔よりも、こんなに素敵な絵を描く画家に出逢えてなんて幸運なの! という嬉しさの方が大きく、とても楽しい時間を過ごすことができました。
対象物を徹底的に観察して写生を重ねることから生まれる作品は、どれも自然に対する素直で謙虚な眼差しを感じさせます。見る人を感動させよう、賞を獲ろう、地位を築こうという欲は見えず、ただただ草木を鳥を敬い慈しむために描かれたのだと決めつけたくなりました。
ですから雪や水の絵ばかりではなく、日本画のイメージを覆すほど鮮やかな発色の作品にも、透明感があるのです。それは描き手の精神の澄んだ有様ではないでしょうか。
一目でこれほど惚れ込んだ画家の絵を、◦◦展の一部としてではなく、こうして会場一杯の展示で見ることができて本当に良かったです。
もちろん図録を購入させていただきました。会場によって展示作品が一部変わるとかで、未見の絵がたくさん掲載されていました。実物を見ることができなくて残念とも云えますが、家に帰ってからさらにたくさんの絵との出会いがあって、これはこれで楽しめました。
でも『緬羊』と『草河豚・鰈』はいつか本物を見てみたいな。
お気に入りの絵にここを彩っていただけると良かったのですけれど、平八郎さんは '74年にお亡くなりになっているので、著作権上の問題から画像を掲載してはいけないように思います。日本人の場合がちょっと解っていないのですが、外国の画家なら間違いなくだめです。そのため残念ですが大事を取って今日は画像なしとさせていただきます。
よろしければ展覧会のサイトをご覧くださいませ。京都と名古屋で開催されました。
恥ずかしながら近現代の日本画は疎い分野で、平八郎さん(疎いわりにはすっかり親し気)という画家については名前を見てもチラシの絵を見てもピンと来ない、つまり知らない人でした。それでも出かけたのは勉強しようなどという殊勝な心持ちからではなく、チラシ表面に使われていた『竹に雀』の、明るい色彩と平べったい雀に気持ちをくすぐられたからです。
会場に入って最初の作品は『雨後』という屏風。『竹に雀』と違い地が透けるほど薄塗りの萩(かな?)がこんもりと描かれ、雨上がりの匂いが感じられるようです。これは良い感じとゆっくり歩を進めると、一番左、萩の後に鳥が2羽。この「突然鳥さんが!」という驚きに一気に平八郎さんに心奪われてしまいました。
平八郎さんは花鳥画を良くした画家で、それもまた私の好みに合ったのでしょう。
水中の魚を見た時の印象を見事に描き出し、まるで池を覗いているかのような気にさせる『游鯉』。花ではなく木にスポットを当てた『桜』、『初雪』『新雪』などのふと手を伸ばして触れてみたくなるような雪の質感、手ぬぐいにしたら絶対かわいい『葱と雀』......。
どうして今まで知らなかったのだろうという後悔よりも、こんなに素敵な絵を描く画家に出逢えてなんて幸運なの! という嬉しさの方が大きく、とても楽しい時間を過ごすことができました。
対象物を徹底的に観察して写生を重ねることから生まれる作品は、どれも自然に対する素直で謙虚な眼差しを感じさせます。見る人を感動させよう、賞を獲ろう、地位を築こうという欲は見えず、ただただ草木を鳥を敬い慈しむために描かれたのだと決めつけたくなりました。
ですから雪や水の絵ばかりではなく、日本画のイメージを覆すほど鮮やかな発色の作品にも、透明感があるのです。それは描き手の精神の澄んだ有様ではないでしょうか。
一目でこれほど惚れ込んだ画家の絵を、◦◦展の一部としてではなく、こうして会場一杯の展示で見ることができて本当に良かったです。
もちろん図録を購入させていただきました。会場によって展示作品が一部変わるとかで、未見の絵がたくさん掲載されていました。実物を見ることができなくて残念とも云えますが、家に帰ってからさらにたくさんの絵との出会いがあって、これはこれで楽しめました。
でも『緬羊』と『草河豚・鰈』はいつか本物を見てみたいな。
お気に入りの絵にここを彩っていただけると良かったのですけれど、平八郎さんは '74年にお亡くなりになっているので、著作権上の問題から画像を掲載してはいけないように思います。日本人の場合がちょっと解っていないのですが、外国の画家なら間違いなくだめです。そのため残念ですが大事を取って今日は画像なしとさせていただきます。
よろしければ展覧会のサイトをご覧くださいませ。京都と名古屋で開催されました。
profil