ねむたい小ウサギ*un lapereau ensommeillé
pied à pied................au loin......
受け入れるということ
活字倶楽部 2006年 12月号 [雑誌]『活字倶楽部』12月号が梨木香歩さんの特集だったので読みました。
梨木香歩さん、大好きですよ。

ここ数年、児童文学が文庫本になる機会が飛躍的に増えたように思います。おそらく彼女の『西の魔女が死んだ』が大ヒットしたのがきっかけでしょう。それ以前にも湯本香樹実さんの『夏の庭』がベストセラーになった例がありますが、ここまで大きな動きにはなりませんでした。

小さくなった児童文学たちは若い女性に人気がある所為もあって、なんとなくふんわりした口当たりの良い「おはなし」のように感じる方もおありかもしれません。
しかし本来小さな人たちのために書かれた本というのは、物語も文章も、大人向けの物よりもよほど厳しい目を経て世に出ているのではないかと考えています。ふんわりどころか骨太な話が多いのです。「純粋な子供の心を失わない大人」を気取るための道具などではないのです。

梨木さんのお話をするのでした。ずれました。
彼女の作品が共通して打ち出してくる「理解できないけれど受け入れる」という姿勢にいつも胸を打たれます。この特徴は、若い女性4人の同居生活を描いた『からくりからくさ』や100年ほど前を舞台にトルコに留学した青年の日々を追う『村田エフェンディ滞土録』など、大人を主人公にした作品に顕著です。

「理解できないけれど受け入れる」というのは難しいことです。理解できなければ好きになれなかったり、理解できるように改めさせようと押しつけたりしがちです。そうではなく、違いはそのまま違いとして、あるがままを受け入れようと思えるようになれたらとても素敵です。
梨木さんの留学時代を綴ったエッセイ『春になったら苺を摘みに』を読むと、彼女がそう考えるに至った過程を知ることができます。この英国での体験なしに『村田〜』は生まれなかったのだと感じました。

家守綺譚最期にそっと告白します。
一番のお気に入りは、懐かしさと寂しさが入り混じったちょっと不思議なお話、『家守綺譚』ですよ。
吟遊詩人にがっかり
吟遊詩人の続きです。

Music of the Troubadours英雄を歌い愛を歌う吟遊詩人の唇から零れ出る音楽とは?
この疑問の答えはずいぶん前に手に入れています。
「中世ナントカの音楽」「十字軍の歌」「宮廷のナントカ」などと題された CD を見ると気になって仕方がない性分ですが、そんな中の1枚がこちら、『トゥルバドゥールの音楽』でした。
歌本体も生みの親も知らないものばかりで、それでも後学のためにぜひとも聴かせていただきましょうと耳を傾けると......。

全然楽しくありません。まったく。さっぱり。
中世の人々はこういうのを聴いて本当に楽しんでいたのでしょうか。私ならこれを近くで歌われたら、バケツの水をざぶんとお見舞いしたくなりますよ。
どんな音楽家と申しますと、ちょうどいい具合にAmazon でも試聴できます。(なにやら高いですね。NAXOS ですからどこでももっと安く売られているはずです)
ええ、今聴いてもやっぱり好きになれません。
中世に行っても吟遊詩人になる夢は諦めた方が良いかもしれません。
それでは......歌わない、ただの詩人を目指します。

あ、でも最初は騎士を目指しますよ。
吟遊詩人にうっとり
ついつい手が出る新紀元社の Truth In Fantasy シリーズ
読みたい読みたいと念じていた1冊をようやく購入しましたよ。

吟遊詩人『吟遊詩人』です。
吟遊詩人! とても興味のある人々です。と云っても小説に出てくるとわくわくするという程度のもので、とりたてて詳しいわけではありません。
お話の中では吟遊詩人や宮廷お抱えの道化というのは、なんともミステリアスな存在です。どんな人がどういう経緯でこれらの職に就くのか、ぼんやりと気になっていました。それをとても詳しく知ることができそうなのがこの本です。
びっしり書いてあるので読むのに時間がかかりそうです。少しずつ楽しむことにしようと思います。

この本をお書きになった上尾信也さんは、吟遊詩人という訳はよろしくありません、宮廷歌人を提唱しますとのことですが、私は吟遊詩人という呼び名はとても好きです。
いったいどなたが考え出したのでしょうか。ロマンティックな響きだと思います。
高等遊民とおなじぐらい素敵な名称です。
どちらにもなってみたいですよ。

ポアロ最強
ギリシア神話の本を読んでいたら、こんなことが書いてあってびっくりしましたよ。

名探偵エルキュール・ポアロの「エルキュール」は、「ヘラクレス」のフランス語読みである。

知らなかった! 知らなかった!
綴りを調べてみたら Hercule Poirot 。本当です。ヘラクレスっぽいです。
頭の中でドラマのポアロとディズニー映画のヘラクレスを並べてみました。あのお二人が同じお名前だなんて、見かけによらないものです。ポアロ、そんな強そうな名前だったなんて(ため息混じりに)。

フランス語で喋るなら、ポアロのように話す途中に「bon」を挟み込んでみたいものですが、なかなかそこまで流暢になれません。挟み込むというより連発する羽目になりそうです。「bon」と云うポアロはちょっと洒落ていました。

昔 CM で見たと記憶しますが、ヒッチコック監督が日本語でお話しされる際はポアロと同じ声で、これまたびっくりしました。お名前は存じ上げませんが、「ばくさんのかばん」のばくさんですよね。ポアロもヒッチコックも初めて見た時には「ばくさんだ!」と歓声を上げました。

ばくさん、元気かな。
LUPIN
ルパン私の心の師匠、
それはルパン。

三世ではありません。
アルセーヌです。



ルパンのようになりたいと冗談ではなく思っていました。
すらりとした紳士でお手並み鮮やか、大金持ちから財宝を奪っても、貧しい者を痛めつけることはしない気高さ。なんてかっこいいのでしょう!
映画のルパンは少々暑苦しい印象を受けましたが、概ねイメージ通りでした。あのような方が身近にいたら、ぜひともお近づきになりたいものです。

カリオストロ伯爵夫人12月号の『ふらんす』対訳コーナーで『カリオストロ伯爵夫人』が始まりました。うわぁ、ルパンだ! と大喜びしたのですが、考えてみるとこれまでルパンを原書で読みたいと思ったことは一度も無いのです。なぜでしょう。フランスらしさとかエスプリとかそういったことをまるで気にすること無く、ヒーロー小説としてしか楽しんでこなかったからかもしれません。でもルパンを目指すなら仏語の習得は必須です。かくなるうえは原書で読破を新たな目標に......って、たくさんあるのですよね、ルパン。

映画を機に新訳が出たのは幸いでした。
かつて愛読したのは、
創元推理文庫版(いくら原音に近くてもリュパンはいやです)
新潮文庫版(ルパンに「わし」なんて云わせないで〜)
ポプラ社版(なぜかルパンが日本贔屓。でも藤田新策画伯の絵は素晴らしいです)
ですが、どの訳も一長一短で、ずっと決定版の登場を待っていました。......それ以前に読み過ぎ!?
ハヤカワ文庫版が出て、やっと私のルパンに逢えた気分です。

ただしこの版、全21巻とたくさん読めるのは嬉しいのですが、新訳なので刊行ペースは年2冊だとか。10年がかりですか。
さすがのルパンも老けるぜ。
iTunes の敷居
音楽はダウンロードよりも断然 CD 派です。
......と力強く宣言してしまうのはおじさん化の証でしょうか(ひやひや)。
ええそうですとも、本だって紙が良いですよ。どれだけデジタルになっても紙の本は不滅です。

冒頭から話がそれました。
怒るところではありませんよ。

音楽ばかりでなく語学学習にも便利なこともあって、いまや iPod なしではやっていけません。まだ mini を使っていますけれど頼もしいです。
ところが iTunes でお買い物をしたことが今に至るまでただの一度も無いのです。
CD 本体がどうしたという理由ではなく、ライナーを読むのが好きなのです。
曲の解説、演奏者の紹介、そして歌詞。私が聴くのはほとんどがクラシックですけれど、BGM として聴き流せないのです。自分が歌うわけでもないのにしっかり歌詞の内容を把握したいのです。
ですからジャケット画像しか手に入らない iTunes にはなかなか気乗りしません。

でも先日、気になっていた CD がお店で見た値段の半額以下で売られているのを見つけて、ちょっと心が揺らいでいます。それから iTunes でしか販売しませんなどという盤もあって(話題になったDG と DECCA の企画です)ますます迷っています。
ああいうのって買ったら CD にも移しておいた方が良いのでしょうか。それならジャケットや CD のラベルもきれいに作らずにはいられませんし、結構な手間ではありませんか。

おまけに DG Concerts は結局 CD 化も始まって、でも出すのは年に一枚だそうで、それでは私のお目当ての盤はいつまで待てば良いのでしょうかとか、もしも CD にしないならしないって発表していただけるのかしらとか、もうどうすれば良いのかわかりません!(勝手に混乱)

本当は iTunes でお買い物だなんてちょっとかっこいいなと秘かに思っているのです。
ちょっと息切れ
今日はラテン語の日でした。
この1週間というもの、毎晩1時過ぎまで頑張って課題を仕上げていきました。
いつもならもう眠っている時間に辞書を引いたりパソコンに向かったりしていたのですよ。おかげで1日中ねむねむです。

頑張った甲斐があり、15ページ中残っていた13ページを(残し過ぎ!)片付けることができました。
意気揚々と出かけて、今度は14ページの課題をいただいて帰ってきました。

やってもやっても終わらないということでしょうか(茫然)。
今週はラテン語に力を注ぎすぎてフランス語をまったくやらなかったのですよ。ラジオ講座でさえ溜め込んでいる始末です。本もあまり読みませんでしたし、音楽も断ちました。時祷書を読んでいるのですから宗教音楽など雰囲気作りに良さそうなものですが、どうしても旋律が頭の中で文字になってしまって、ラテン語がはみ出しちゃうのです。
困りましたよ。こんな調子では何もできません。
もう少しバランス良くやれるようにならなくては。
エルマー、ハリー、ジョージ、じぷた
渡辺茂男さんがお亡くなりになりました。
私が小さな頃から親しくしていた、数々の絵本や物語の翻訳を手がけていらっしゃいました。
『しょうぼうじどうしゃ じぷた』『エルマーとりゅう』『おさるのジョージ』『どろんこハリー』『ロージーのおさんぽ』『ミス・ビアンカ』......。少し前に再読した『きかんぼのちいちゃいいもうと』も渡辺さんの訳でした。ずっとずっと昔の自分と同じ本が読めて嬉しかったものです。
やさしくきちんとした言葉で語りかけてくる本からは、安心できるあたたかさが感じられます。今風の文章に新訳されることもなく何十年も読み継がれてきたのは、訳文が作品と一体になるほど完成されたものだったからだと思います。

これから先も、たくさんの小さな人たちが渡辺さんの翻訳を通してすてきな物語の世界へと出かけるのでしょう。とても大きなものを遺してくださいました。
ありがとうございました。
ずれている
今週は思いがけず忙しさ5割増しになってしまって、昨日からあたふたしています。
だからと云って課題に待ったは掛けられません。
呆然としつつふんばっています。

幸いにも今取り組んでいる部分は聖書からの引用が多く、空白の少ない解読が作成されています。
ラテン語は Internet Sacred Text Archive、日本語は日本聖書協会の両サイトの検索機能に頼りっぱなしなのですが、「*章*節」というのが少しずれることがあって手間取ります。
登場数最多の詩編は、始めのうちはぴったり合っているのに、いつの間にか1章ずれているのです。それから時々出て来るシラ書は、章が同じでも節が違っていたりして、その度に知っている単語を辿って突き合わせなくてはなりません。
忙しいのにこんなことばかりしていられませんよ、これがちゃんと統一してあったらもっと速やかに宿題が片づくのに、と文句が口の端でむずむずしています。

もっともそんな苦情を申し立てたら「何から何まで写して済まそうとするんじゃありませんよ」と逆に叱られそうなのですが。
努力が足りない
ラジオ講座のテキストには、読者のお便りのページがあります。
そこを見るといつも、まるで私以外の誰もがもりもり勉強してばりばり上達しているような気がしておののいてしまいます。

12月号には、仏検2級に合格された方のお便りが載っていました。
2回目の挑戦だったそうです。2回で合格だなんてなかなか優秀ではありませんか。
しかもこの方、御年84歳! 84歳ですよ!
いったいどれほど頑張られたことでしょう。
「だってむずかしいんだもん」と逃げ回ってばかりの自分が恥ずかしくなりますよ。
次回の日程がもう発表されていますが、挑んでみるべきでしょうか。

でもなぁ......むずかしいんだもん。