ねむたい小ウサギ*un lapereau ensommeillé
pied à pied................au loin......
またまた「今度こそ」
ふらんす 2007年 04月号 [雑誌]出ましたよ。
『ふらんす』4月号です。新年度恒例CD付きです。
特集も新年度恒例「今度こそフランス語」です。はぁ(ため息)。
毎年この号を見ると「やらなくちゃ〜」と追い立てられる気がします。年明けにゴオォォッと燃え盛ったやる気の炎は今や風前の灯。なんとか盛り返さなければときっかけを求めてページを捲っています。

学習ページは定番の初級文法の他、動詞の時制に限定した連載が始まりました。上級向けにはル・モンドを使って時事仏語の習得を目指すコーナーと、インタビューで耳を鍛えるページがあります。その他白水社のサイトに詳しく紹介されています。

NHKの講座でおなじみの國枝先生がアドバイスを寄せていらっしゃいます。「少しずつでも毎日続けましょう」「伸び悩む時期があってもある日一段上にいることに気づく」などの励ましに背中を押されます。また「1か月、無理なら1週間だけでも “寝ても覚めてもフランス語” の期間を作ろう」とのご提案をされています。具体的な内容を見るとなかなか厳しいものですが、それだけの気構えが必要だというのには共感します。

今の生活の中で24時間フランス語漬けはさすがに無理がありますが、なんとか離れないようにしたいと思います。
まずは付録のCDをiPodへ......。
隊長!
酒と女と喧嘩が大好き、戦場を駈ける荒くれ男たち。
こんなステレオタイプ且つ失礼なレッテルを貼っていた、中世の傭兵に関する本を読みました。

フィレンツェの傭兵隊長ジョン・ホークウッド『フィレンツェの傭兵隊長ジョン・ホークウッド』(ドゥッチョ・バレストラッチ 白水社)です。14世紀初頭、イギリス人でありながらイタリアで軍人として生きたホークウッドという人物について私は何も知りませんでしたが、有名な人だそうです。当時書かれた年代記の多くに名前が出てきて、絵に描かれてもいると云いますから、よっぽど強かったのでしょう。

著者はまえがきで、ホークウッドについてはこれまで虚実織りまぜた書かれ方をしてきたと書いています。英雄であると同時に同じぐらい悪名も高かったために、年代記作者たちがつい想像を逞しくしてしまったのだろうと。そして自分はきちんと記録が残っている事実に基づいてのみ書くと宣言しています。だから格好いい英雄譚を期待した読者にはハズレかも、というようなことも予め告げています。
それはまさしく私のような読者への注意でした。そうです、傭兵隊長の血湧き肉踊る活躍が読めると思っていたのです。「ジョン様!」と呼びたくなるようなヒーローの話を。
その意味では期待はずれな本でしたが、傭兵という職業を前よりは理解できるようになりました。

雇用主である各都市が傭兵に対して抱く複雑な感情が面白いものです。彼らを敵に回せば非常に厄介だけれども、雇ったら雇ったで途方もなくお金がかかる。一度戦いが始まれば傭兵隊は容赦なく暴れ回るし、平安が戻れば連中はやっぱり暴れる。傭兵から都市を守るために大金を積んで傭兵を雇わなければならない。傭兵への支払いのためにはあれやこれやの理由をつけて市民から税金を取る必要がある。いいかげんにしてくれッ。

このような傭兵という存在を説明するのにかなりのページが割かれていて、伝記とは少し趣が違いました。そして肝心のジョン・ホークウッドに関しては、今一つ掴みかねる気がしました。
その原因はおそらく、彼を語る視点が常に傭兵隊の外にあったからです。ホークウッドを雇ったり襲われたりした都市が、彼といかに駆け引きをしたか。これは詳しく書かれていました。ただ強いだけの戦争馬鹿ではなく、傭兵隊の経営者としても優れた人物だったのです。

それは解りましたが、「隊長」としてはどうだったのかは曖昧なままです。時には何百人も率いて戦うのですから、大勢の部下が「この人についていこう」と思う何かがあったのだろうと思いますが、その辺りの記述はほとんどありません。傭兵たち自身の記録がないからでしょうか。

内部の評価がはっきりしないので、ホークウッドのことがよく解らないまま読み終わってしまいました。最も密接な関係にあったフィレンツェからあらゆる理由をつけてお金を搾り取り、またあらゆる理由をつけて税金の支払いを拒んだ男。雇わせるためには少しばかり強引な方法を取る男。でも敵の傭兵に対してはむやみやたらと殺しはせず、騎士道精神を見せた男。さんざんうんざりさせられたはずのフィレンツェが、盛大な国葬で送った男(その後妻子に大金を払う羽目に......)。

破天荒、ということでしょうか。見方によって印象をがらりと変えるところが魅力なのかも、と思うのです。
またしても
エンジェル・ヴォイセズ来日記念盤(DVD付)半月迷ってやっぱり買いました。
LIBERAの『angel voices』DVD付きを。

CDは去年出た通常版に「Do not stand at my grave」を加えたもので、もう持っています。DVDはライブではなくクリップが6つで、これもYouTubeやLIBERAのサイトでいただいてきたのを持っています。
だから本当は買わなくても良かったのですが、「CDとチケットW購入でプレゼント!」と「メンバーの最新プロフィール」の誘惑に屈しました。

中を見るとプレゼントは「リベラ・グッズ」。......あんまり......いらない......。
そういえば前回のコンサートでも「CDを買ってプレゼント」の企画があって、会場で応募用紙を箱に投入しようとした瞬間「LIBERAの時計が当たります!」の貼り紙を目にしたのでした。
いらないです〜と震えながら応募した記憶があります(せっかく応募用紙を持参したので箱には入れてきたのです)。
あれが再びということでしょうか。何が当たるかCDを開けないと判らないところがクセモノです。

そして期待のプロフィールが些か中途半端で残念でした。現主要メンバーの、と謳っているのに気になる新メンバーが3人しか載っていないのです。皆さんのコメントがなかなか面白いので、全員掲載されると良かったのになと思いました。
(コメントと云えばリアムさんがLIBERAブログで先日BBCに出演された時のお話をされていました。ご本人がお書きになったのか談話なのかよく判りませんけれど、なにやら楽しそうですよ)

載っている新メンバー3人の内、ベンさんは早くもソロを務めていらっしゃいますから、来月のコンサートが楽しみです。彼が明かしたベン・クローリーさんの身長には驚きました。そうか、そんなにあるのか......。
他の新人さんたちについては、今出ている『CHOPIN』4月号に簡単なプロフィールが出ていました。だいぶ入れ替わりがあったのでおなじみの歌もまた少し違って聴こえることでしょう。来月のコンサートが楽しみです。
私は変わらずザックさんを応援していますよ。
(7歳のカバナさんが「僕はいちばん小さい。ザックより小さい」と仰っているのが気になりました。一昨年いちばん小さかったザックさんは、今でも引き合いに出されるほど小さくていらっしゃるのでしょうか......)

思い起こせば去年も一度、こうやって「痛恨の2枚目」を買っているのです。こんな間抜けな真似はもうしません、とお星さまに誓ったのに......。周りにもアホだと云われながらのお買い物でした。でも特別盤を出しますと後から云い出すメーカーさんもちょっとは悪いと思うのですよ。

今日はついでに懸案中だったアレグリが安くなっていたので、併せて購入しました。LIBERAはライナーに用があるだけですから、これから聴くのはこちらです。
et....
羊と見せかけて牛
『ブシコー派の画家の時祷書』には牛皮紙が使われています。
一昨日知りました。もうびっくりですよ。ずっと羊皮紙だと思い込んでいたのです。見れば資料のあっちにもこっちにも牛皮紙と書いてあるではありませんか。あっぱれな見逃しっぷりです。

牛皮紙は羊皮紙よりも高価な素材です。1頭(匹)あたりの皮の面積は牛の方が大きいのですから、牛が高いなんておかしいなと単純に考えていました。調べると皮紙になるのは牛は牛でも仔牛だそうです。それでもまだ羊より大きそうですが、薄い紙を作るには牛の腹子が要ったのです。
胎児の皮! それは高価なはずです。それ以前にちょっと惨い。
お肉もちゃんと食べましたか?
ブシコーさんとは遠縁です
ラテン語の教材として「時祷書」と気軽に呼んでいるものの正体は、『ブシコー派の画家の時祷書』という15世紀フランスの彩色写本です。いくら教科書に使うという大義名分があろうとも、おいそれと本物にはお目にかかれません。

ブシコー派という名称が一般的になっていますが、これは美術史に出てくるような流派ではありません。ブシコー元帥ことジャン・ル・マングルⅡ世のことです。
ブシコー元帥は軍人であり詩人でもあった人物で、十字軍にも参加しました。彼の晩年(推定)に、その功績を記した本が作られました。それが『ブシコー元帥の時祷書』という本で、『ブシコー派の〜』と名前が似ていますが別のものです。パリのジャックマール=アンドレ美術館にあるそうです。サイトへ行っても見つけられませんでしたが......(しょんぼり)。

『ブシコー派の〜』にはブシコー元帥のことは出てきません。『元帥』の本と画風や色使いが酷似しているために、同じ工房で作られたのだろうとこの名がつきました。よって、注文主・製作者・題材のどれをとってもブシコー元帥とは直接の関係はありません。来歴を辿っていけばブシコーさんとつながりがあるようなないような、というところでしょうか。
紛らわしいタイトルですよ。

 *参考文献*
 「ブシコー派の画家の時祷書」図録
 「南山神学」第19号
赤の秘密
昨日は時祷書に得体の知れない赤い文章が出てきて困りました。そこで夜は資料をいろいろ出してきてひさしぶりにお勉強です。
おかげで机が再び魔窟になりかけていますが、謎は少し解けてきました。

これまで解読していたのは聖務日課(Officium)という時間ごとの祈りで、これは朝課(Matutinum)から終課(Completorium)まで1日に8回あります。朝課など朝と云っても実際は深夜です。朝過ぎます。大変です。
8回の聖務日課は基本的にはそれぞれの祈りを毎日繰り返すのですが、待降節(Adventus)や四旬節(Quadragesima)などの典礼暦(Kalendarium)に従って変更される部分があります。
その変更箇所の指示こそが、これから読もうとしているページだったのです。わざわざ赤字で書かれているのは、典礼注記(Rubrica)という注意事項でした。

何が書いてあるのか判ったからと云って訳せるわけではありませんが、何を読んでいるのかが明らかになっただけでも進歩です。ようやく腰が据わった感じです。

昨日は解らなかったことが今日は解る。
うれしいな。
et....
宿題
魔境と化していた机の上を片付け、ラテン語の宿題を発掘しました。
しわしわですよ。
(広辞苑を重石にしてみながら)

思ったよりも分量があったので早速取りかかることにしました。
ところが1行目から立ち往生です。
1行目ではありますが、たぶん前回やったところの途中です。それぞれのお祈りの冒頭には絵がついているのに、今からやろうとしているところは最初から文字ばかりなので、これは途中なのです。

そして今まで見たこともない様子をしています。
段落の最初の文字は飾り文字になっているのですが、これが2段落分、最初の単語と無関係なようなのです。飾り文字の次もまた大文字で、この2文字目が単語の始まりになっています。おまけに飾り文字が何なのか読み取れません。

さらにこの奇妙な2段落は7行あるのですが、赤で書かれているように見えます。通常、赤文字になっているのは psalmus(詩編)、antiphona(交唱)などの読み上げない部分と、ごく一部の短い文章だけです。7行にも渡る長文が真っ赤に書かれているなどちょっと考えられないのです。
書かれている文章も、どう検索しても該当する文が見つかりません。これまでは聖句であればもちろんのこと、それ以外でもどこかに同じ文面がありました。どうして無いのだ。

こんなわけのわからない始まりでは先へ進めません。のんびり怠けていた罰が当たったのでしょうか。テキストは黒っぽいコピーで見にくいし、1行も書かないうちから厭になってしまいますよ。
カラシ小盛り
NHK テレビフランス語会話 2007年 04月号 [雑誌]NHK テレビフランス語のテキストを立ち読みです。テレビのテキストは表紙が半分写真なのですね。この方が良いです。
今期は2年目の杉山先生です。手慣れた進行で視聴者を安心させてくださることでしょう。

テレビは週に1回しかないのに、なぜか見続けることができません。今では始めから見ようともしなくなっていたのですが、今回はラジオでお馴染みのジャニック先生が出演されると知って興味を持ちました。
前にも書いたことがあるのですが、ジャニック先生のフランス語に憧れます。うきうきと楽しそうなんですもの。ラジオでしか聞いたことがなかった憧れのフランス語を、テレビで見ることができるとあっては知らん顔はできません。放送は水曜日と土曜日。忘れないようにしなくちゃ。
水曜水曜水曜......。(口の中でぶつぶつと)

このテレビのテキストで「パリのアトリエを訪ねて」というJeu de Paumeの連載が始まりました。かわいい本をたくさん出していらっしゃって、けっこう読んでいます。この連載だけでも毎月見に行こうかと思います。
カラシ大盛り
NHK ラジオフランス語講座 2007年 04月号 [雑誌]既にあちこちで不評なようですが(笑)、私も見ました。本屋さんの一角に広がる芥子色を。

NHK語学講座のテキスト、胸弾ませる4月号が発売されています。いただいたパンフレットによると、これまで講座別だった色分けを月ごとの統一カラーにするという初の試みだとか。
失敗でしょう、これは。(あちゃあ、と目を覆って)
せめて桜色とか若草色とか、始めるぞ! という気分に合う色にできなかったのでしょうか。毎月色が変わるというのも歓迎いたしかねます。棚に並べるとカラフルになるのは厭だなぁ。

変わってしまったものは仕方がありません。とりあえずラジオフランス語を購入しました。
今期のテキストは買おうかどうしようか迷っていました。応用編がちょっと社会派でついていけるか不安でしたし、7月からは昨年の「星の王子さま」の再放送になってこれはもう持っているし、と。入門編のためだけならわざわざ買うこともないかなと思ったのです。でもまぁ4月は様子見といきましょう、とお試し購入です。

入門編は「ジュリアンとさくらのJaponウォッチング」です。
ウォッチング......英語じゃん、とクールに突き放しつつ中を見ると、驚きました。カタカナが振ってあります。私がラジオ講座を利用するようになってからは初めてのことです。
これはどうなのでしょうねぇ。日本語とフランス語では母音だけでも大きな違いがありますから、カタカナがあると却って邪魔にならないでしょうか。「r」や鼻母音などは聞いて真似をする方が覚えやすい気がします。下手にカタカナ表記があると、聞いた音を無意識のうちに日本語の発音に押し込めてしまわないかしら、なんて心配し過ぎでしょうか。
ゼロから始めるという初心者さんにはこの方が親切なのかなぁ。私は市販の問題集でもカタカナ付きの本は避けてきたので、効能がよく解りません。
ただやっぱり、comment(コマン)、parler(パルレ)には違和感があります。

こんな風に初心者に気を配りながらも、最初からシャドーイングを取り入れています。なんともアンバランス。シャドーイングは応用編にもあって、こちらは活用できるといいなと思うのですが。

なにやら「わくわく」よりは「ひやひや」な新講座。
聞いてみたら案外楽しいかもしれませんね。(自分を励まして)
「小さな大人」から「普通の子供」へ
ロバート・ギブスこれは作者不詳『4歳半のロバート・ギブス』という絵です。1670年に描かれたこの絵から展覧会は始まりました。
17世紀当時、子供が子供らしくあることなどまったく認められていませんでした。「子供は生まれながらにして罪深い存在であり、祈りと懺悔と厳しい躾により天国へと導かれる」と考えられていたからです。随分と勝手な言い分ですが、他の考え方が無かった以上は大人たちを責めるわけにもいきません。ここに描かれたロバート君も大人と同じポーズをとり、手にした革手袋で未来の家長であることを示しています。こんなかわいくない4歳児がいてたまるものですかと、げんなりするような絵です。

これ以降も長きに渡り、子供の絵は子供自身よりも家を表すためのものでした。贅沢な衣装や調度で富を誇示し、持たせた玩具は「玩具を買い与えられるほど裕福な我が家」を、少女に寄り添う犬は単なるかわいいペットではなく「犬のように従順で善き妻になること間違いなしの娘」を表すのです。

「子供は生まれながらにして善である」と明言したのはジャン=ジャック・ルソーです。彼が著書『エミール』で披露したこの考え方は広く受け入れられ、絵画の世界でも子供たちは子供らしさを獲得します。
10月の午後の放課後さらに19世紀に入ると、自然の中で遊ぶことが子供の健全な発育を促すことが知られるようになります。右の絵はヘンリー・インマン作『
10月の午後の放課後』です。ちょっと見にくいかと思いますが、学校帰りに思い思いに遊ぶ子供たちの姿が描かれています。まさに「子供は遊ぶのが仕事」です。

靴磨き君一方、すべての子供がのびのびと暮らしていたわけではありません。遊ぶどころか教育も受けられず、幼くして労働に従事する子供も少なくありませんでした。
見た瞬間にチャップリンの映画『キッド』のジャッキー・クーガンを連想したこの絵は、ジョン・ジョージ・ブラウン作『疲れきった靴磨きの少年』です。
こんなに小さな子が日々働いているというのはあってはならないことです。けれどもこの絵は少年の悲惨な境遇を描き、社会を告発しているのではありません。よく見れば男の子は着ているものこそボロですがさほど酷い状態ではなく、頬はふっくらとして色つやも良いです。彼は世の中の底辺で虐げられているのではなく、あくまでも貧困から這い上がり成功を収める可能性を秘めた者として描かれているのです。
現実に貧しさから脱出できた子供がどれだけいたでしょうか。貧しいけれど愛らしいこの少年の絵は、貧困に喘ぐ子供がいるという現実から目を背けたい富裕層に人気があったといいます。
それを知った上で見ると、なんとも複雑な思いがします。

......以上のお話を美術館の講演会で聞いてきました。ちょっと知ったかぶりです。
敬称略とさせていただきましたことと併せ、失礼いたしました。

*すべての画像は作品を所蔵するボストン美術館よりお借りいたしました。