ねむたい小ウサギ*un lapereau ensommeillé
pied à pied................au loin......
やわらかな祈り
Sch?tz: Kleine geistliche Konzerteシュッツの『クライネ・ガイストリッヒェ・コンツェルト』ハノーファー少年合唱団セバスチャン・ヘニッヒさんが歌っていらっしゃいます。
CDの存在は存じ上げておりましたが、実物を見たことが無かったのです。身代を潰さないためにも「CDはお店で」と決めているので、今まで辛抱強く出逢うのを待っていました。ついに見つけました! スキップで床を踏み抜きながら即お買い上げです。

大好きな『クライネ・ガイストリッヒェ・コンツェルト』で、歴代最高クラスのトレブルのヘニッヒさんです。駄目な筈がありません。
とても優しい、柔らかな歌声です。合唱団としての参加ではなく、少年はへニッヒさんお一人です。共演はカウンターテノールのルネ・ヤーコプスさん、合唱はコンチェルト・ヴォカーレです。『Stabat Mater』と同じですね。
録音は1982年。少し前に聴いたモーツァルトの『孤児院ミサ』が1980年でしたから、この2年間での成長に瞠目しました。技術面で上達したばかりか、感情のこもった表現力にはもはや子供子供したところはありません。ヤーコプスさんと堂々と渡り合っています。『Stabat Mater』と同じ頃の声でしょうか。どちらが先だったにしろヤーコプスさんが再共演を考えたのももっともです。いえ、よく知りませんけれどそんな気がします。

シュッツの演奏ではドレスデン聖十字架合唱団がもっとも好きで、私にとっては彼らの歌が基準です。他に聴いたのは昨年買ったテルツ少年合唱団。端正なドレスデンとも力強いテルツとも違う魅力がヤーコプス盤にはあります。特にテルツとの違いが大きいです。
5曲目の「Eile, Mich, Gott, Zu Erretten」(このCDは『クライネ〜』と『シンフォニエ・サクレ』からの抜粋で構成されていて、曲順が通常とは異なります)。
テルツ盤ではこれが1曲目で、第一声からすぱーんと目盛りを振り切る弾け方ですが、へニッヒさんは実に落ち着いた声で歌います。これが同じ曲かと驚くほどの違いです。
他の曲でもテルツの声は神様に「聞いて。とにかくこの祈りを聞け。話はそれからだ」と強く訴えかけるようで、ヤーコプス盤は「どうぞお聞きくださいますように」と祈りをそっと差し出すような印象を受けました。

お二人の声の絡み具合もよく、耳に心地良い1枚です。
こういうシュッツも良いものです
lire le français:パリ木の歴史①
興味のある分野の文章をフランス語で読むと良いですよ、と尊敬する家うさぎ様からアドバイスをいただき、私もやってみるの〜と素材を探していました。
なにしろ『リサとガスパール』がやっとこさの仏語力です。いくら好きでも小説や歴史書や美術書では背伸びし過ぎです。これだというものが思いつかず難航していました。
閃きのきっかけは1枚のCDでした。ドイツのレーベルから出ているもので、曲名も解説も全部ドイツ語だけで書かれていたのです。ドイツのCDは英訳が付いていることが多いので、これは珍しいと思うと同時に、曲名ぐらいは知りたいなと歯痒くもありました。これがフランス語だったら辞書を引いてなんとかするのに......そうだ! CDのライナーを読むのはどうかしら。

そんなわけでフランス語のライナーの付いたCDを探すと......あまり持っていませんでした。フランスの聖歌隊のCDがなかなか手に入らないからです。ドイツのCDが英独仏の三か国語を載せているのが少しあるぐらいでした。ちょっとがっかり。
ここから連想したのが「フランスの少年合唱団のサイトを読んでみよう」という企画です。これならいろいろある筈です。まさしく興味のある分野ですし、うってつけではありませんか。

素晴らしい思いつきにうきうきしながらサイト訪問です。
ありました、パリ木の十字架少年合唱団。コンサートの予定やCDリストを訳しても仕方がありませんから、Historiqueのページにしましょう。
本当は対訳形式にできると良いのですが、それだと無断転載でルール違反になるかもしれません。せっかく教材に使わせていただくのに、恩を仇で返してはなりません。リンクを貼るだけにしますので、ここは私の下手な試訳で我慢してください。
第1回目は画面右上の固まりの上半分、途中で1行空いているところまでです。
原文はこちらです。

✩試訳✩
1906年夏、サヴォア(フランス南部)のタミエ大修道院で休暇中の2人の若い学生が、夢のような計画を立てます。子供たちの聖歌隊を作る。それは教会から教会へ、町から町へと行き、真の宗教音楽が生きている証を運ぶのです。
その夢は、翌年にはもう現実のものとなります。お金よりも豊かな情熱でもって、我らが2人の若者はパリの外れにあるボロ家に住みつき、最初の子供たちを迎えます。
パリ木の十字架少年合唱団の誕生です。
第1回目の稽古は1907年1月10日に行われました。そして最初のオーディションがサン・ジェルマン・ロセロワ教会(パリ)で行われました。成功はすぐそこです......。
合唱団はまずパリで評価され、すぐにフランス全土に広まりました。
彼らの歌の質、声の純粋さは、その音楽スタイルに反して広まり、驚きと熱狂を引き起こします。
白い祭服に、首には小さな木の十字架が見えます。それは彼らの簡素さにおいて、再生のしるしのようです。
パリ木の十字架少年合唱団の歴史が始まります。
まもなく1914-18年の戦争(第一次世界大戦)という試練を体験します。戦争は彼ら仲間たちに猛威を振るいます。けれど何物にも信念を傷つけることは出来ません。騒乱の後、かつてないほど決然として、養成所は続いてゆくのです......。
(つづく)

✩疑問点✩
2行目:qui semble tenir du rêve
    tenirがうまく訳せません。「夢を掴む、非現実的な」ということか
    「夢に執着する」なのか迷いました。

6行目:un faubourg parisien
    les faubourgs de Parisで「パリ郊外」と辞書にあります。
    パリの内側か外側かで使い分けるのでしたっけ。
    どこかでこんなようなことを見た気が......。

17行目:L'histoire
    「歴史」か「物語」かどちらが相応しいでしょうか。

17行目:le Manécanterie
    「聖歌隊養成所」が1語で表せることにびっくり。
    でも女性名詞なのです。スペルミス?

あの......「云いたいことは何となくわかるけど、でも日本語ヘンですよ」という文章になっています。おかしいなぁ、あんなに頑張ったのに。
原文を別途参照してくださいとお手間を取らせて申し訳ありませんが、間違い勘違いをご指摘いただけましたら幸いです。誤訳をしている場合は、決して悪意あってのことではありませんので、どうかご容赦ください。すぐに訂正いたします。
へたっぴですが続きも読みたいと思っています。

パリ木って学生さんが始めたのですね。
北斎見参!
北斎展へ行ってきました。
駅前での開催でしたので、悲壮な覚悟のもとに家を出ました。と云いますのも、駅周辺というのは信じられないぐらい人がたくさんいるのです。しかも皆さんとても早足で、私の普段の生活圏と比べると、早送りしているみたいに見えます。道で歌っている人がいたりカニを売っている人がいたり、都会って不思議です。

展覧会はたいへんな混雑ぶりでした。少し前に見たプライスコレクションの3倍は人がいます。さすが北斎、いつでも大人気です。
そんな状態でしたから、列に並んで絵を1枚1枚見ていたのでは夜になってしまいそうです。会場に着いた時点で既に人波に揉まれてふらふらでしたので、しかたなく人垣の後ろからそろりそろりと眺め、気になる作品だけ近くで見てきました。

思ったよりも展示数が多く、初公開作品もありました。中心となるのはやはり版画ですが、私が興味を持ったのは肉筆画の方です。会場内で1枚いただくならこれ! と決めたのは(美術展ではいつも考えます)、『竹に昼顔図』という肉筆画。あれは墨でしょうか、黒一色で描かれた竹はすっくと伸びる力を感じさせ、その横に寄り添う昼顔はやわらかく彩色されています。画面の中で両者はしっくり馴染み、思わず足を止める美しさを放っていました。
ぜひ画像を掲載したかったのですが、見つけられなくて残念です。図録を購入しなかったので私の手元にもありません。ポストカードになっていたら欲しいなという期待も外れました。

会場では浮世絵の実演が行われていました。
本当はこれが見たくて時間を合わせて出向いたのですが、文字通り黒山の人だかりで職人さんはまったく見えず。離れた処からも見えるように、職人さんの手元を映すモニターが設置されていましたが、それすら人々の頭の隙間からほんの端っこが見えるだけでした。1回の実演は90分。とてもそれだけの時間を人の頭を見て過ごすことは出来ないと、数分覗いただけで離れました。
その数分で学んだことです。

浮世絵は原画を描く絵師、その絵を元に版木を彫る彫師、版木に絵の具を付けて紙に刷る刷師の3人が作り出す芸術です。実演をしていらっしゃったのは刷師の職人さんでした。沈黙の内に進む工程を、若いお兄さんが解説してくださいました。
見たのはちょうどぼかしの技術を説明するところでした。幾つも版木を分けてちょっとずつ違う色を載せるのではなく、1枚の版木の上に絵の具と水でバランスを取りながら、ぼかした状態で色を付けるのだということでした。

これはなんとなく想像のつくお話で、びっくりしたのは馬連のお話です。
版木に紙を乗せて、上から擦るのに使う丸い馬連は、私も図工の授業で手にしたことがあります。あの馬連を刷師は何種類も用意して、必要に応じて使い分けているのだそうです。全部一緒ではないのですね。そして昔は馬連職人さんが作っていたのですが、今はもうそういう人がいなくなってしまったので、刷師の方は自分でお作りになるそうです。
馬連職人さんがいなくなったということより、そういう人がいたことに驚きました。毎日毎日朝から晩まで馬連を作るのです。それが職業として成立していたとは。

このお話はとても印象深くて、北斎展の収穫は「竹と昼顔と馬連」になりました。
不仲説
iBookさんがご機嫌斜めです。
「リーフレコードカウントが正しくありません」と仰るのですが、それで話が通じると思ったら大間違いなのです。(なぜか偉そうに)
今のところは何も不具合はありませんけれど、ある日突然三途の川を渡ってしまうかもしれません。そう思うとパソコンに疎い私はいつになく落ち込みます。
リーフレコードカウントが何なのかはこの際放っておいて、どうすれば良いのかちょこちょこと検索してみましたところ「いつ何時最期の瞬間が訪れるかわからないので、ハードディスクにバックアップして初期化すべし」という意見を幾つも見ました。

困ったなぁ。
ハードディスクは持っていません。なぜ持っていないかと云うと、使い方がわからないからです。買うだけならお店屋さんで相談すれば正しいお買い物が出来るでしょう。そこから先、バックアップだなんて難しいではありませんか。画像を移動するみたいにドラッグ&ドロップするのとは違うと聞きますし。
iBookのディスクを3つに分けてありますから、その内の1つに移すのでも良いものでしょうか。そうそう、3つに分けた時、一瞬で全部消えてしまって泣いたのでした。

もしかしてインテルにしなさいというアップル様からのメッセージでしょうか。
いえいえ、そうは問屋が卸しませんよ。このiBookさんとはまだ2年のお付き合いなのです。素敵な相棒です。まだまだ仲良くしていきたいのです。決して買い替えたときのデータの移行ができないから、などという消極的な理由ではありませんよ(そっと目をそらしながら)。

しばらくはおだてながら様子を見ましょう。
次にこの話題を出すのはトラブルが起こった後です......。
争いがもたらすもの
白い盾の少年騎士〈上〉 (岩波少年文庫)先週読んだ『王への手紙』の続編です。『白い盾の少年騎士』(トンケ・ドラフト 岩波少年文庫)。
素晴らしい......!(感動を噛みしめながら)
前作を上回る面白さです。分厚さもなんのその、もくもくもくもく読みました。

あの冒険から1年、ティウリとピアックは再び旅に出ます。結局のところ『王への手紙』で解決されたのは目先の危機に過ぎず、根っこで燻っていた問題は今、国と国との争いに発展しようとしています。ティウリたちは最初から使命を帯びているのではなく、巻き込まれる形で戦いの中心に身を置くことになります。

前作で出逢った人々との再会を楽しみつつ、何よりもティウリの成長ぶりを目の当たりにしながら読み進めました。『王への手紙』で彼は身に余る大役を成し遂げたのですが、振り返ってみればあの旅でのティウリは、叙任前の見習い騎士として常に「庇護される」立場にいました。数々の困難を切り抜けてきたものの、なんと多くの人が彼を助け、守っていたでしょうか。
見習いの名札を外した本作では、彼は一人前として扱われます。もちろん若く経験が浅いことは考慮されていますが、大先輩の騎士たちは皆、彼を仲間と見ています。時に意見が合わず云い合いになるのも、ティウリが対等な立場で話をしているからです。「子供が意見するな」「黙って云う通りにしろ」と頭を押さえつける人はいません。さすが本物の騎士、人間が出来ています。
また、ティウリの従者となったピアックが一人での冒険を強いられます。そこでの彼には人々が援助の手を差し伸べます。まるで1年前のティウリのように。2人の扱われ方を対比させることで、ティウリの成長がより浮き上がってくるのです。

ティウリの旅を一直線に追った前作と異なり、各地へ散った騎士たちそれぞれが主人公となります。ティウリがいない場面も多く、そのことが「世界ではたくさんの物語が同時進行している」と知らしめて、物語に厚みを加えています。

最後には紛争に決着がつきます。この結末には本当に感心しました。
人は誰しも完璧な善でなければ完全な悪でもありません。それはすなわち、一片の曇りもない勧善懲悪など無いということです。
この物語は「わるものは いなくなりました めでたしめでたし」とは云いません。悪を倒すことで世界の秩序が取り戻せたとしても、勝者の側にも必ず失うものがあることを伝えます。それが決して小さなものではないことも。

子供向けだからとお砂糖をふりかけるのではない、真摯な著者の姿勢には賛辞を惜しみません。
惜しいのはもう続きが無いこと、これだけです。
本当に無いのかしら。探せばどこかにもう1つぐらいありませんか。
(誰にともなく訴えて)
journal en français (pas facile...)
Safariを立ち上げて最初に出てくる画面を、NHKのフランス語ニュースにしていました。
去年の秋頃からですから、もう半年以上になります。ネットにつないだらまずここのトップニュースを読む。解っても解らなくても、興味があってもなくてもとにかく読む。そう自分に課してきました。

トップニュースだけですから時間はそれほどかからず、習慣になりさえすればたいして苦ではありません。本当は知らない単語をその都度調べて覚えていけたら良かったのですが、それをやると時間はかかるし続けるのも辛くなるので、よほど気になる場合以外は流し読みをしています。
NHKを選んだのは、ここはフランス語で日本のニュースを報道しているので、日本語で見聞きしている話題なら流し読みでもなんとか内容が掴めると考えたからです。

でも......飽きちゃいましたよ。ふぅ。
そう感じたのは先の大統領選の折りです。フランスの大きなニュースだというのに、NHKは「日本のニュースを仏語で」が基本なので、大統領選の話題が重要視されていなかったのです。
そこでフランスのニュースサイトをふらふらと覗き見るようになりました。
私の仏語力では門前払いをされるかと不安でしたが、行ってみたらこれが案外解るのです。もちろん日本語の報道を通して予備知識を持っていたからではあります。ニュースを読むと云ってもフランス語で情報を得るのではなく、知っていることを確認しているに過ぎません。
それでも「フランスのニュースが読める」というのはなんと気分の良いことでしょう!

すっかり気が大きくなったため、選挙の後もフランスのニュースを見ることを続けています。それに合わせてSafariの最初のページを変えました。
今はiGoogleです。
ここにフランスのニュースサイトを並べました。たくさん出てくる見出しから、興味のあるものを選んで読みます。皆が同じニュースをトップに持ってくる日もあれば、てんでばらばらな日もあります。惹かれるものがなければその日はそこでおしまいです。見出しだけでも面白いですから、無理に記事を読もうとはしません。

ひとつ困っているのは、コンテンツの選び方です。FIGAROLe MondeFrance 24Libérationなど有名なところを選んだまでは良かったのです。ところがそれぞれがさらに細かく分類されていてよりどりみどり、却って決められません。(リンクは各コンテンツ一覧に飛びます)
少なくともSportsやSciencesは除外しよう、私が見たいのは何て云えば良いのでしょうか......「普通のニュース」なのですよ、だから......???
A la uneとかActualitéなんかが良いのでしょうか。Franceはフランス国内の話題ばかりで難しいかな。それよりはInternationalの方が幅広くて面白そう......ん? Europe、World、Monde......わー!(頭を掻きむしって)

背景は空模様に決定しました。見る時間によって絵が変わります。肝心のコンテンツの方は、画面をスクロールすることなく見渡せる量に収めると使いやすいと思うのです。今はまだ多いので、もうちょっとダイエットします。iGooleも、私も。
allemand
もしもドイツ語ができたら、と思うのは何もTシャツを着る時だけではありません。
私はクラシック、中でもとりわけ声楽を好んで聴くのですが、ドイツ語の歌が本当にたくさんあるのです。ドイツのレーベルが出しているCDでも、大抵は英訳が付いているのでなんとかなります。でもドイツ語しか書かれていないものもあって、しかもそういうCDに限って初めて聴く曲でタイトルすらよく判らない、困ったなぁということになるのです。

最近困っているのはCDではなく、とある映像です。
treblemusicでいただいた、大好きなドレスデン聖十字架合唱団のものです。
画質が良いのでDVDかなと思いましたが、8本あるデータはすべて25分で、それぞれに同じオープニング映像(きらきらしてちょっと気恥ずかしいですよ)が付いていることから、テレビ番組かもしれないと推測しています。
Dresdner_Kreuzchor-2007というファイルに入っている8本がそうです。番組名は『Der Kreuzchor Engel Bengel Musik』です)

これがとても嬉しい内容なのです。
練習風景やオーディションの様子ばかりか、少年たちの日常もしっかり収められています。いろんな子へのインタビューもあるし、思うように歌えなくて泣き出す子がいるかと思えば、息子がオーディションに合格して泣きそうになっているお父さんがいたりと大充実です。これが本当にテレビだったら羨ましくて仕方がありません。ドイツへ越そうかと思うほどです。
ただ、いかんせん一ッ言も解りません。
みんな何て云ってるのかなぁ。この際英語でも良いので字幕を付けて売り出していただきたいです。

ドレスデン、聖トーマスなどドイツ系の合唱団に好きなところが多いので、ドイツ語を知っていればもっと楽しめるに違いない思います。それでは勉強するかというと......ごめんなさい。これ以上は頭に入りません。どうかご勘弁を、なのです。
いつかフランス語をフランス人並にできるようになったら次はドイツ語を......来ないでしょうねぇ、そんな日は。
Qu'est-ce que vous dites, Faon?
自分でもそうとは気付かずに、へんてこなメッセージを発信してしまうことがあるので注意が必要です。
Tシャツのお話です。

英語やフランス語が書いてあれば、見てなんとなく理解できます。ところが今日着ているのにはドイツ語が書かれているのです。これがイタリア語やスペイン語なら、フランス語やラテン語に似ていて見当がつきますが、ドイツ語はもうさっぱり! お手上げです。
鹿の絵がかわいいと着ているもので、その鹿の下にこう書いてあります。

 Milch schokolade
 Das schmeckt nach mehr

なんだろうなぁ。
1行目が「ミルクチョコレート」に見えます。英語に似ています。似ているだけで全然違うのかな。2行目はまるでだめです。チョコがおいしい? あ、チョコだと決まったわけではありませんね。鹿とチョコは関係無さそうですし。難しいな。
うさこちゃん
ディック・ブルーナさんの絵本のつくりかた―ミッフィーはどうやって生まれたの? (みづゑのレシピ)うさこちゃんを見ると「うさこちゃ〜ん!」と云わずにはいられません。この『ディック・ブルーナさんの絵本のつくりかた』(美術出版社)を見つけた時もそうでした。

これは雑誌『みづゑ』の連載が1冊にまとまったものです。連載中読んでいたにも拘らず、はじめからおしまいまで再び楽しみました。うさこちゃんだけではなくブラックベアやその他様々なデザインなど、ディック・ブルーナさんの作品が満載です。

うさこちゃんの絵本は輪郭線をフィルムに写し、色紙と重ねて発色を良くしていること。原書では1ページの文章は4行で、2行目と4行目の韻が揃えてあること。できあがるとまず奥様に見せて、反応が良くなければ必ずやり直すこと。ユトレヒトの町を自転車で走っていること......。
本や雑誌で何度も見て知っていることなのに、何度見てもわくわくします。

ブルーナさんご自身も素敵な方です。ブルーナさんがどういう人なのか、私は結構大きくなるまで知りませんでした。でも初めて写真を見た時にこう思ったのです。
「そう! ブルーナさんがこういう人だって私ずっと前から知っていたわ!」
楽しさが溢れ出てくるようなお髭のお顔は、うさこちゃんの作者はこの人しかいない! と思わせます。そして楽しいばかりではなく、制作中の真摯な眼差しもとても印象的です。

オランダ、特にユトレヒトにはうさこちゃんやブルーナ・デザインのものが街中にあって夢のようです。昨年オープンしたディック・ブルーナ・ハウスもあることですし、行ってみたいなと思う国の1つです。
Mystère de "Las Meninas"
ラス・メニーナすベラスケスの『ラス・メニーナス』。

この絵を見るといつも、視線がピンポン玉のように私と絵の間を行ったり来たりするのを感じます。まず私の目が中央のマルガリータ王女を見ます。王女に辿り着くとすぐさま彼女の視線に転じ、画面のこちら側にいる国王夫妻へと返ってきます。国王たちへ届いた視線は再び私のものとなり、絵の最奥にある鏡に映った王と王妃へ向かうのです。そしてこんな構図を考えたベラスケスはすごい、と心から感心します。


ベラスケスの十字の謎不思議な魅力をたたえたこの絵から生まれたお話が、『ベラスケスの十字の謎』(エリアセル・カンシーノ 徳間書店)です。後の調査で絵に描かれた人たちの素性が判明していること、その一方で画中のベラスケスに描き足された赤い十字について謎が残っていること。これらを活かしたミステリーです。

主人公は絵の右端で犬に片足を乗せている少年ニコラス。絵では小さな男の子に見えますが、彼は “小人” と呼ばれる背が伸びない体の持ち主で、実際はもう少し年長です。かつてこういう人々は、王侯貴族たちを楽しませる役割を与えられていました。彼らに健常者と同じような知性や感情があるとは認められておらず、王宮お抱えと云えば聞こえは良いものの、精神的にはかなり虐げられたいたようです。

ニコラス少年はほんの子供のうちに宮廷へ連れてこられたので、いきなり見せ物にされることはなく、礼儀作法を学んだり勉強したりして過ごします。そして持ち前の聡明さが大人たちの目にとまり、宮廷画家ベラスケスの絵に描き込まれることになります。
国王陛下を描くというその作品は難航しています。ベラスケスに仕える身となったニコラスは、大人たちの言葉から奇妙な取引と謎の中に足を踏み入れてしまうのです。

絵の中の人々が動いている、そんな気がして面白く読めました。赤い十字の謎についてはまったくのファンタジーですが、これからこの絵を見る時は、きっと本書を思い出すことでしょう。
欲を云えば、もっとしっかり書いてあれば良かった。これでは物足りないです。ただしそれは本書の欠点ではなく、大人である私が読んだからそう感じただけだと思います。小学校中学年ぐらいから読めるように書かれているのですが、もっと対象年齢を上げて、宮廷の様子やニコラスたち “小人” の葛藤、絵を巡る陰謀を深く書き込めばさらに面白くなるのではないでしょうか。惜しいです。
もし本来の読者である小学生の頃にこれを読んでいたら、大好きになっていたことでしょう。
そして『ラス・メニーナス』は「知り合いが描いてある絵」になるのです!


✩『ラス・メニーナス』の画像はArtchiveよりお借りいたしました。