Wed.
10.31.2007
Trick or Treat !
お菓子くださ〜い!
ハロウィンですよ。
かぼちゃの日ですよ。
今年もやっぱりオレンジかぼちゃは手に入りませんでしたが、代わりにこんな絵本を読みました。
じゃーん!
その名も『パンプキン』(ケン・ロビンズ BL出版)です。
横長のわりと大きめの本で、かぼちゃでいっぱいの表紙に惹かれました。さて、何個あるでしょう。
いえいえ、クイズをしている場合ではありません。
中身はカボチャが出来るまでを追った写真絵本です。種を蒔いて、芽が出て葉っぱが出て花が咲いて....ぽちっと出来た小さなかぼちゃがだんだん大きくなります。畑いっぱいに大きなオレンジ色がごろごろしている様子の楽しいこと!
コンテストもあって、巨大なかぼちゃが堂々と出品されます。子供と並んだ写真を見てびっくりです。
そして最後はジャック・オ・ランタンを作ります。
私はジャックではなく大好きなスープを作りました。

『かぼちゃスープ』(ヘレン・クーパー アスラン書房)は、とにかくかぼちゃスープの気分になる絵本です。
猫、リス、アヒルの仲良し3匹組は世界一おいしいかぼちゃスープを作ります。ところがある日、いつもと違ってあひるがお鍋を掻き回したがったせいで大騒動に!
熱くて甘くておいしそ〜うなスープにお腹が鳴ります。さらにこの絵本は、絵がとてもダイナミックなのです。本の四角い画面が窮屈そうで、今にも3匹とスープが飛び出してきそう。
かぼちゃスープの魅力が功を奏してか、ケイト・グリーナウェイ賞を受賞しています。そして本書を含め、これまでにシリーズが3作
出ています。
もしもこの絵本をご覧になるのでしたら、開く前にキッチンにかぼちゃスープの材料が揃っているのを確認するようお勧めいたします。もしも読んだ後で何かが足りないことに気づいたら、お財布持って駈け出さずにはいられませんから!
ハロウィンですよ。
かぼちゃの日ですよ。
今年もやっぱりオレンジかぼちゃは手に入りませんでしたが、代わりにこんな絵本を読みました。
じゃーん!その名も『パンプキン』(ケン・ロビンズ BL出版)です。
横長のわりと大きめの本で、かぼちゃでいっぱいの表紙に惹かれました。さて、何個あるでしょう。
いえいえ、クイズをしている場合ではありません。
中身はカボチャが出来るまでを追った写真絵本です。種を蒔いて、芽が出て葉っぱが出て花が咲いて....ぽちっと出来た小さなかぼちゃがだんだん大きくなります。畑いっぱいに大きなオレンジ色がごろごろしている様子の楽しいこと!
コンテストもあって、巨大なかぼちゃが堂々と出品されます。子供と並んだ写真を見てびっくりです。
そして最後はジャック・オ・ランタンを作ります。
私はジャックではなく大好きなスープを作りました。

猫、リス、アヒルの仲良し3匹組は世界一おいしいかぼちゃスープを作ります。ところがある日、いつもと違ってあひるがお鍋を掻き回したがったせいで大騒動に!
熱くて甘くておいしそ〜うなスープにお腹が鳴ります。さらにこの絵本は、絵がとてもダイナミックなのです。本の四角い画面が窮屈そうで、今にも3匹とスープが飛び出してきそう。
かぼちゃスープの魅力が功を奏してか、ケイト・グリーナウェイ賞を受賞しています。そして本書を含め、これまでにシリーズが3作
もしもこの絵本をご覧になるのでしたら、開く前にキッチンにかぼちゃスープの材料が揃っているのを確認するようお勧めいたします。もしも読んだ後で何かが足りないことに気づいたら、お財布持って駈け出さずにはいられませんから!
Tue.
10.30.2007
sans dieux
そろそろ10月もおしまいですよ。
手帖を買わねばです。
ここ3年ほどはAfternoon Teaの物を使っているので、引き続き来年も、とお店へ出向きました。
う〜、決めかねます。
見た目で気に入った物と中身のレイアウトが理想的な物が別だったのです。どうしましょう....と迷って今回は保留。うさぎの湯たんぽを購入しました。この冬はほかほかで眠るのです。
10月はまたの名を神無月。
神様達がみんな出雲へお出かけになるので「神がいない月」です。そのため出雲では神在月と云うと聞いたことがあります。本当でしょうか。

この時期になると必ず思い出すのが、宮部みゆきさんの『神無月』(新潮文庫『幻色江戸ごよみ』所収)です。
宮部さんの作品は現代ミステリよりも時代小説の方がずっと好きです。中でもこの短いお話は男2人の心情を鮮やかに描き出し、強く印象に残ります。
病弱な娘のために年に1度だけ盗みを働く男。
彼が神無月を選んで罪を犯すのは、この時だけは神様の目に触れないからです。本当は盗みなどしたくない、けれど娘のためにはどうしてもお金が要る。ならばせめて神様不在の夜に、というわけです。
もう1人の男は岡っ引き。
神無月の男のことは知りません。けれども毎年同じ時期に起きる盗みについて推理を巡らせます。
作中で両者が顔を合わせることはありません。
そうしないことで、秋の夜風がふと身を切るような、鋭い読後感を生むのです。
街灯など無いただ月が照らすだけの暗い夜道を、男が息を潜めて足早に行く音がひたひたと聞こえるようです。
なんとも秀逸。
手帖を買わねばです。
ここ3年ほどはAfternoon Teaの物を使っているので、引き続き来年も、とお店へ出向きました。
う〜、決めかねます。
見た目で気に入った物と中身のレイアウトが理想的な物が別だったのです。どうしましょう....と迷って今回は保留。うさぎの湯たんぽを購入しました。この冬はほかほかで眠るのです。
10月はまたの名を神無月。
神様達がみんな出雲へお出かけになるので「神がいない月」です。そのため出雲では神在月と云うと聞いたことがあります。本当でしょうか。

宮部さんの作品は現代ミステリよりも時代小説の方がずっと好きです。中でもこの短いお話は男2人の心情を鮮やかに描き出し、強く印象に残ります。
病弱な娘のために年に1度だけ盗みを働く男。
彼が神無月を選んで罪を犯すのは、この時だけは神様の目に触れないからです。本当は盗みなどしたくない、けれど娘のためにはどうしてもお金が要る。ならばせめて神様不在の夜に、というわけです。
もう1人の男は岡っ引き。
神無月の男のことは知りません。けれども毎年同じ時期に起きる盗みについて推理を巡らせます。
作中で両者が顔を合わせることはありません。
そうしないことで、秋の夜風がふと身を切るような、鋭い読後感を生むのです。
街灯など無いただ月が照らすだけの暗い夜道を、男が息を潜めて足早に行く音がひたひたと聞こえるようです。
なんとも秀逸。
Mon.
10.29.2007
reading, reading
千里の道も一歩から。
山盛りご飯も一粒から。
こつこつ続けている英語の多読が、やっとのことで10万語に届きました。
めざせ100万語! ですからまだ1合目です。
栄えある10万語通過本はこちらです。
山盛りご飯も一粒から。
こつこつ続けている英語の多読が、やっとのことで10万語に届きました。
めざせ100万語! ですからまだ1合目です。
栄えある10万語通過本はこちらです。
Sun.
10.28.2007
Les Portes du Temps
いつものようにLe Journal des Enfantsを読んでいて....これを読むのも少しは勉強の足しになっているかしらと気にしつつ....『Les Portes du Temps』という映画が紹介されているのに目を留めました。
見るからにファンタジーで、これは面白そうですよと興味を持ったものの、何の映画なのかが解りません。オリジナル・ストーリーなのか原作があるのか....なんとなく原作がありそうではありますが『時間の扉』というタイトルから思い浮かぶ本がありません。
アメリカ映画っぽいなとフランスのサイトをいくつか巡っている内に、20世紀FOXの作品と判明。そして間もなく公式サイトに辿り着きました。
どの言語も同じトップ・ページから入れます。便利ですね。
日本語版もありました。邦題は『光の六つのしるし』、冬休みの公開です。あれまぁ、もうすぐではありませんか。こういうハリウッド映画には疎くていけませんね。
そして、この日本語タイトルを見てすぐに判りました。

スーザン・クーパーさんの『闇の戦い』
(理論社)です。
あ、あれだ! と閃いたものの、実は未読です。
去年から順次刊行されていて、1冊目が出た時から知ってはいました。なんでも作品自体はかなり昔のもので、長らく入手困難だったことから「知る人ぞ知る」名作と云われていたのだとか。
黒いシンプルな表紙が物語の奥深さを予感させ、これは気になる読んでみようかなどうしようかなとぐずぐずしていたら、全4巻出揃ってしまいました。この長さを読むには時間が必要です....と今に至ります。
実際に読んでいないのであやふやな知識しかありませんが、光と闇の戦いで、アーサー王伝説が関係していて、と面白そうなのです。
私は「読んでから観る」派ですので、DVDが出るまでにはぜひ読んでおきたいと思います。(映画館へ行くのは1日がかりになるものですから....)
著者のスーザン・クーパーさんについては、Thelostland.comというサイトが詳しいです。個人が作っていたファンサイトがクーパーさんのお墨付きによって公式サイトになったものです。

話は逸れますが、アーサー王伝説が絡むファンタジーで好きなのは『少年騎士アーサーの冒険』
(ケビン・クロスリー=ホランド 角川文庫)です。
12世紀イギリスの少年アーサーの現実が、不思議な石に映るアーサー王の物語と少しずつシンクロしてゆくお話です。
ただし、全3巻の最後の1冊がちっとも出ません。
元は『ふたりのアーサー』
(ソニーマガジンズ)というタイトルで出ていたもので、こちらはとっくに完結しています。ですから図書館で借りるなどして読めば良いのですが、せっかく文庫で読んでいるので岩の一念で待っています。表紙もこちらの方が好きですし。
でも2巻が出てからもう2年以上も経つのです。既にある本を文庫にするだけなのに、どうしてこんなに時間がかかるのでしょう。
待っている間に私はマーリンになってしまいますよ。
見るからにファンタジーで、これは面白そうですよと興味を持ったものの、何の映画なのかが解りません。オリジナル・ストーリーなのか原作があるのか....なんとなく原作がありそうではありますが『時間の扉』というタイトルから思い浮かぶ本がありません。
アメリカ映画っぽいなとフランスのサイトをいくつか巡っている内に、20世紀FOXの作品と判明。そして間もなく公式サイトに辿り着きました。
どの言語も同じトップ・ページから入れます。便利ですね。
日本語版もありました。邦題は『光の六つのしるし』、冬休みの公開です。あれまぁ、もうすぐではありませんか。こういうハリウッド映画には疎くていけませんね。
そして、この日本語タイトルを見てすぐに判りました。

あ、あれだ! と閃いたものの、実は未読です。
去年から順次刊行されていて、1冊目が出た時から知ってはいました。なんでも作品自体はかなり昔のもので、長らく入手困難だったことから「知る人ぞ知る」名作と云われていたのだとか。
黒いシンプルな表紙が物語の奥深さを予感させ、これは気になる読んでみようかなどうしようかなとぐずぐずしていたら、全4巻出揃ってしまいました。この長さを読むには時間が必要です....と今に至ります。
実際に読んでいないのであやふやな知識しかありませんが、光と闇の戦いで、アーサー王伝説が関係していて、と面白そうなのです。
私は「読んでから観る」派ですので、DVDが出るまでにはぜひ読んでおきたいと思います。(映画館へ行くのは1日がかりになるものですから....)
著者のスーザン・クーパーさんについては、Thelostland.comというサイトが詳しいです。個人が作っていたファンサイトがクーパーさんのお墨付きによって公式サイトになったものです。

12世紀イギリスの少年アーサーの現実が、不思議な石に映るアーサー王の物語と少しずつシンクロしてゆくお話です。
ただし、全3巻の最後の1冊がちっとも出ません。
元は『ふたりのアーサー』
でも2巻が出てからもう2年以上も経つのです。既にある本を文庫にするだけなのに、どうしてこんなに時間がかかるのでしょう。
待っている間に私はマーリンになってしまいますよ。
Sat.
10.27.2007
孤独の中で渇望するもの
本のお話が続くのは、人生を怠けているからです。
........うわー!!

さ、やっと出ましたよ。(パンパンと手を叩いて)
『鎖衣カドルト』(吟 鳥子 新書館)。
「鎖衣」と書いて「さい」と読みます。
作者の吟 鳥子さんは大好きな漫画家さんの1人です。『架カル空ノ音』
のお話になるとやたら燃えます。メラッ。
『カドルト』はこれ1冊で一応完結しています。途中でお怪我のため休筆されたこともあって、第1話から2年以上もかかりました。出て良かったです。
鎖衣とは、作品世界である「鎖の国」の神祇官のことです。神祇官そのものと、彼らが纏う装束も鎖衣と呼びます。その名称通り、神祇官の装束の上に鎖を幾重にも巻き付けるのです。
鎖が表すのは人間が犯す罪、守るべき法、世を成り立たせる道徳。
鎖衣は枷にも見える鎖の拘束によって、何の益ももたらさない「連鎖」を断ち切るよう人々に訴えます。それは憎しみの連鎖、悲しみの連鎖、傲慢の連鎖....。
鎖の国には神への信仰がありません。鎖衣の存在こそが民の「人としての有り様」の拠り所なのです。
さて主役のカドルト、元は貴族の生まれです。
けれども豊かな暮らしをする自分と貧民の違いに悩み、鎖衣となります。
貴族であった過去を捨て、貧民街に居を構え、ひたすら人のためになることを心掛けます。神祇官である彼は武力を持ちませんから、傍らには馴染みの鎖騎士、ラダンがいます。
ラダンの役割はカドルトを守ること。治安の悪い貧民街での安全のためでもありますが、それ以上に「カドルト本人」から守らなければならないのです。
どういうことかと云うと、カドルト様は極度の「死にたがり」なのです。
何かにつけて「私が悪いのだ。死ななければ〜!」と大騒ぎになる困った神祇官様です。
2人のやりとりはシリアスなこの作品中の貴重な息抜きです。
読み切り連作なのですが、後半、隣の「水の国」から難民が押し寄せるという長めのお話があります。これが本作の白眉です。
水の国の人々は水の神を強く信仰していて、困難を祈りによって乗り越えようとします。この姿勢は神を持たぬ鎖の国の人々には理解し難いものです。
この事態によってカドルトは、神の存在、幸福の形という大きな問題と向き合うことになります。
過去の体験から「神はいない」と叫ぶラダン。
「祈るのも憎むのも、その先に神がいるからこそ」と云う水の巫女。
神の代わりに鎖で律することで、孤独の内にいると思い知るカドルト。
どれが正しいかという明確な答えは出せません。物語は懐の深い見解を示しつつ、最後の一押しは読者に委ねます。
唯一連載の形になったこの最終話は、かなり間を空けての掲載だったために、なんとなくすっきりしない印象を持っていました。こうしてまとめて読んでみると....なんだ、面白いではありませんか。買わなくても良いかなとまで思った私は浅はかでした。
今日はついでにオノ・ナツメさんの『DANZA』特装版を予約しました。
何が付いてくるのかな。
........うわー!!

『鎖衣カドルト』(吟 鳥子 新書館)。
「鎖衣」と書いて「さい」と読みます。
作者の吟 鳥子さんは大好きな漫画家さんの1人です。『架カル空ノ音』
『カドルト』はこれ1冊で一応完結しています。途中でお怪我のため休筆されたこともあって、第1話から2年以上もかかりました。出て良かったです。
鎖衣とは、作品世界である「鎖の国」の神祇官のことです。神祇官そのものと、彼らが纏う装束も鎖衣と呼びます。その名称通り、神祇官の装束の上に鎖を幾重にも巻き付けるのです。
鎖が表すのは人間が犯す罪、守るべき法、世を成り立たせる道徳。
鎖衣は枷にも見える鎖の拘束によって、何の益ももたらさない「連鎖」を断ち切るよう人々に訴えます。それは憎しみの連鎖、悲しみの連鎖、傲慢の連鎖....。
鎖の国には神への信仰がありません。鎖衣の存在こそが民の「人としての有り様」の拠り所なのです。
さて主役のカドルト、元は貴族の生まれです。
けれども豊かな暮らしをする自分と貧民の違いに悩み、鎖衣となります。
貴族であった過去を捨て、貧民街に居を構え、ひたすら人のためになることを心掛けます。神祇官である彼は武力を持ちませんから、傍らには馴染みの鎖騎士、ラダンがいます。
ラダンの役割はカドルトを守ること。治安の悪い貧民街での安全のためでもありますが、それ以上に「カドルト本人」から守らなければならないのです。
どういうことかと云うと、カドルト様は極度の「死にたがり」なのです。
何かにつけて「私が悪いのだ。死ななければ〜!」と大騒ぎになる困った神祇官様です。
2人のやりとりはシリアスなこの作品中の貴重な息抜きです。
読み切り連作なのですが、後半、隣の「水の国」から難民が押し寄せるという長めのお話があります。これが本作の白眉です。
水の国の人々は水の神を強く信仰していて、困難を祈りによって乗り越えようとします。この姿勢は神を持たぬ鎖の国の人々には理解し難いものです。
この事態によってカドルトは、神の存在、幸福の形という大きな問題と向き合うことになります。
過去の体験から「神はいない」と叫ぶラダン。
「祈るのも憎むのも、その先に神がいるからこそ」と云う水の巫女。
神の代わりに鎖で律することで、孤独の内にいると思い知るカドルト。
どれが正しいかという明確な答えは出せません。物語は懐の深い見解を示しつつ、最後の一押しは読者に委ねます。
唯一連載の形になったこの最終話は、かなり間を空けての掲載だったために、なんとなくすっきりしない印象を持っていました。こうしてまとめて読んでみると....なんだ、面白いではありませんか。買わなくても良いかなとまで思った私は浅はかでした。
今日はついでにオノ・ナツメさんの『DANZA』特装版を予約しました。
何が付いてくるのかな。
Fri.
10.26.2007
女の子は修道院で
前回ご紹介しました本の著者、猪本典子さんの本をもう1冊。

『修道院のレシピ』(朝日出版社)。
このタイトルの由来は何かと申しますと、本書に掲載されているレシピの数々は、遥か昔にフランスの修道院が近在の娘さん達にお料理を教えるために作ったものなのだそうです。一種の花嫁学校ですね。
修道院のお料理教室は長年続き、たくさんのレシピは後にリセの家政科の教科書なったとか。今でも授業で使われているのでしょうか。興味津々です。
ボリュームのある本で、スープからデザートまで500を超える大量のレシピが掲載されています。写真がほとんど無いのが私のような料理下手には不安の種ですが、ページをぱらぱら繰りながら湯気の立つお鍋などを想像する時間は楽しいものです。
秘かに面白がっているのが、分量の多さ。一部を除いてどのお料理も6人分で材料が計算されているのです。日本のお料理本はたいてい4人分、本の趣旨によっては1人分や2人分ですね。基本が6人というところに、みんなでわいわい食卓を囲む様子が思い浮かんで温かい気持ちになります。
でもだからっていきなりお鍋にジャガイモ2kgは投入しませんよ。
こう書くと「ああ、やっぱりね。ふふふ」と思われるかもしれませんが、お料理はさっぱり駄目です。「おまえは何をやっても駄目だ」と云われ続けて幾星霜。完全にへこたれていますが、お料理上手さんへの憧れは尽きません。そして日々いろいろな本のお世話になっています。


中でも大活躍なのが松長絵菜さんのご本です。
解りやすくておいしくて、何より「心を込めてお料理する」ことの大切さをいつも心に刻むレシピです。絵菜さんご自身のコーディネート、撮影による写真のふんわりとしたかわいさも大好きです。
本はみんな持っていますが、出番が多いのはお菓子よりお料理がメインの『Cook Book』と『スプーンとフォーク』(共に女子栄養大学出版部)の2冊です。
いつかおいしいものが作れるようになるといいな。
(焦がしたお鍋を汗だくで洗いながら)

このタイトルの由来は何かと申しますと、本書に掲載されているレシピの数々は、遥か昔にフランスの修道院が近在の娘さん達にお料理を教えるために作ったものなのだそうです。一種の花嫁学校ですね。
修道院のお料理教室は長年続き、たくさんのレシピは後にリセの家政科の教科書なったとか。今でも授業で使われているのでしょうか。興味津々です。
ボリュームのある本で、スープからデザートまで500を超える大量のレシピが掲載されています。写真がほとんど無いのが私のような料理下手には不安の種ですが、ページをぱらぱら繰りながら湯気の立つお鍋などを想像する時間は楽しいものです。
秘かに面白がっているのが、分量の多さ。一部を除いてどのお料理も6人分で材料が計算されているのです。日本のお料理本はたいてい4人分、本の趣旨によっては1人分や2人分ですね。基本が6人というところに、みんなでわいわい食卓を囲む様子が思い浮かんで温かい気持ちになります。
でもだからっていきなりお鍋にジャガイモ2kgは投入しませんよ。
こう書くと「ああ、やっぱりね。ふふふ」と思われるかもしれませんが、お料理はさっぱり駄目です。「おまえは何をやっても駄目だ」と云われ続けて幾星霜。完全にへこたれていますが、お料理上手さんへの憧れは尽きません。そして日々いろいろな本のお世話になっています。

中でも大活躍なのが松長絵菜さんのご本です。
解りやすくておいしくて、何より「心を込めてお料理する」ことの大切さをいつも心に刻むレシピです。絵菜さんご自身のコーディネート、撮影による写真のふんわりとしたかわいさも大好きです。
本はみんな持っていますが、出番が多いのはお菓子よりお料理がメインの『Cook Book』と『スプーンとフォーク』(共に女子栄養大学出版部)の2冊です。
いつかおいしいものが作れるようになるといいな。
(焦がしたお鍋を汗だくで洗いながら)
Thu.
10.25.2007
和菓子を愛でる
引き続き和菓子の本です。

1番のお気に入りは『和の菓子』(ピエ・ブックス)。
かなり厚みのある本で、和菓子の写真集と云っても良い体裁です。シンプルかつ洗練されたレイアウトで、和菓子の造形美を堪能させてくれます。
コンパクトにまとまった解説も付いていて、これは英文も併記されています。外国の方へのプレゼントにもうってつけです。
ピエ・ブックスの本は造本の美しいものが多く、よく読んでいます。この『和の菓子』などの....何シリーズと云うのでしょうか、和のアイテムを取り上げた厚く重い本達がいるのですが、好きな物がたくさんあります。少々お値段が張るものですから、図書館でお借りすることが多いのですが....。出版社サイトで一部の本は中を少し見ることができます。
忘れなければそのうち別の本もご紹介したいと思います。

続きましては『NHK美の壺 和菓子』(NHK出版)。
NHKで放送中の『美の壺』は、面白そうでいつも見てみたいと思っている番組です。でもど〜うしてもおとなしくテレビを見ることが出来ないのです。たった30分なのにテレビのために時間を割けません。映画やコンサートの放送なら見るのですから、いったい何が原因なのか気になっています。
それはさておきこの番組は続々とシリーズ本
になっていて、こちらはいくつか読んでいます。
『和菓子』もその中の1冊。薄い本の中に多岐にわたる内容が詰まっていて満足のいく本です。
お菓子の名前から背景を読み取ることや、和菓子の歴史などを解りやすく説いています。写真もふんだんに使われていて、目でも楽しめる1冊です。

最後は『イノモト和菓子帖』(猪本典子 リトルモア)。
著者の猪本さんはデコレーターさんです。そのセンスを活かして、お好きな和菓子の数々を素敵な写真に仕立て上げたのがこの本です。
見どころは何と云っても写真。和菓子の魅力炸裂です。器や小物とのコーディネートも可愛らしくて、かと云って甘々にならないバランスの良さが主役のお菓子を引き立てます。
食べないのにこんなに本ばかり眺めてどうするのでしょう......。

かなり厚みのある本で、和菓子の写真集と云っても良い体裁です。シンプルかつ洗練されたレイアウトで、和菓子の造形美を堪能させてくれます。
コンパクトにまとまった解説も付いていて、これは英文も併記されています。外国の方へのプレゼントにもうってつけです。
ピエ・ブックスの本は造本の美しいものが多く、よく読んでいます。この『和の菓子』などの....何シリーズと云うのでしょうか、和のアイテムを取り上げた厚く重い本達がいるのですが、好きな物がたくさんあります。少々お値段が張るものですから、図書館でお借りすることが多いのですが....。出版社サイトで一部の本は中を少し見ることができます。
忘れなければそのうち別の本もご紹介したいと思います。

NHKで放送中の『美の壺』は、面白そうでいつも見てみたいと思っている番組です。でもど〜うしてもおとなしくテレビを見ることが出来ないのです。たった30分なのにテレビのために時間を割けません。映画やコンサートの放送なら見るのですから、いったい何が原因なのか気になっています。
それはさておきこの番組は続々とシリーズ本
『和菓子』もその中の1冊。薄い本の中に多岐にわたる内容が詰まっていて満足のいく本です。
お菓子の名前から背景を読み取ることや、和菓子の歴史などを解りやすく説いています。写真もふんだんに使われていて、目でも楽しめる1冊です。

著者の猪本さんはデコレーターさんです。そのセンスを活かして、お好きな和菓子の数々を素敵な写真に仕立て上げたのがこの本です。
見どころは何と云っても写真。和菓子の魅力炸裂です。器や小物とのコーディネートも可愛らしくて、かと云って甘々にならないバランスの良さが主役のお菓子を引き立てます。
食べないのにこんなに本ばかり眺めてどうするのでしょう......。
Wed.
10.24.2007
秋は栗のために 栗はみんなのために
秋の味、栗きんとんをいただきましたよ。
美味じゃ美味じゃと1粒完食。
栗きんとんは、私が食べられる数少ない和菓子の1つです。
餡子がまったく食べられなくて、落雁を始めとするお干菓子もほとんど駄目です。そのため「秋になったら栗きんとんを食べる」というのは、私にとって年最大の和菓子イベントなのです。
たとえ食べられなくても、和菓子のあの美しさ、愛らしさはどうでしょう!
季節を感じさせる花や果物を象ったり、小さなお菓子に壮大な自然の有様を盛り込む発想と技術を、私は愛してやみません。
本当はいつだってうっとりと和菓子を眺めていたいのです。
でも食べもしないのにお店でじろじろ見るわけにはいかないのですよ。うっかり試食でも勧められては大変です。その場だけでもおいしそうな顔をして見せることさえ出来ないのです。
仕方がないので和菓子の本で我慢します。
食べませんからレシピは不要です。写真と名前が解れば良いのです。


最近読んだのはこちら。
『お茶と和菓子の十二カ月』(鳥越美希 ピエ・ブックス)。
12の月それぞれの和菓子の他、伝統行事やお茶席などでのお作法が紹介されています。お菓子はとらやのものです。
思ったよりもお菓子の割合が少なかったものの、まあまあ楽しめる本でした。
月毎に自分で作れるお菓子のレシピも載っています。ここでは純粋な和菓子にはこだわらず、和の素材と雰囲気を活かした洋風のお菓子もあって、それもまたおいしそうです。
でもやっぱり餡子は食べられません〜。
こんな風ですから、いつかはお茶を習ってみたいという望みにちっとも踏み出せません。まさか「私だけチョコでお願いします。お抹茶とチョコって合うのですよ」と云うわけにもいきませんし。
このままお茶も点てられない人生を歩むしかないと思うと、秋風が身に沁みます。
ぴゅー。
美味じゃ美味じゃと1粒完食。
栗きんとんは、私が食べられる数少ない和菓子の1つです。
餡子がまったく食べられなくて、落雁を始めとするお干菓子もほとんど駄目です。そのため「秋になったら栗きんとんを食べる」というのは、私にとって年最大の和菓子イベントなのです。
たとえ食べられなくても、和菓子のあの美しさ、愛らしさはどうでしょう!
季節を感じさせる花や果物を象ったり、小さなお菓子に壮大な自然の有様を盛り込む発想と技術を、私は愛してやみません。
本当はいつだってうっとりと和菓子を眺めていたいのです。
でも食べもしないのにお店でじろじろ見るわけにはいかないのですよ。うっかり試食でも勧められては大変です。その場だけでもおいしそうな顔をして見せることさえ出来ないのです。
仕方がないので和菓子の本で我慢します。
食べませんからレシピは不要です。写真と名前が解れば良いのです。

最近読んだのはこちら。
『お茶と和菓子の十二カ月』(鳥越美希 ピエ・ブックス)。
12の月それぞれの和菓子の他、伝統行事やお茶席などでのお作法が紹介されています。お菓子はとらやのものです。
思ったよりもお菓子の割合が少なかったものの、まあまあ楽しめる本でした。
月毎に自分で作れるお菓子のレシピも載っています。ここでは純粋な和菓子にはこだわらず、和の素材と雰囲気を活かした洋風のお菓子もあって、それもまたおいしそうです。
でもやっぱり餡子は食べられません〜。
こんな風ですから、いつかはお茶を習ってみたいという望みにちっとも踏み出せません。まさか「私だけチョコでお願いします。お抹茶とチョコって合うのですよ」と云うわけにもいきませんし。
このままお茶も点てられない人生を歩むしかないと思うと、秋風が身に沁みます。
ぴゅー。
Tue.
10.23.2007
光あれ
彼らのもとに光あれ。
天上へ向かう歌声響かせ、懸命に生きる子らのもとに光あれ。
そう祈る思いで読みました。

『その歌声は天にあふれる』(ジャミラ・ガヴィン 徳間書店)。
ずっと気になっていた本でした。物語が重そうで分量もそこそこあったものですから、また今度また今度と延び延びになっていました。そして、もっと早く読めば良かった! とちょっぴり後悔です。
18世紀イギリスを舞台に、厳しい現実に抗いながら必死に生きる少年たちのお話です。
原題は『Coram Boy』。コーラムとはロンドンに実際にあった養育院です。当時のイギリスでは子供たちは大変厳しい状況に置かれていました。幼いうちからの労働、虐待がはびこり、それが悪いことであるという意識もなかった時代です。裕福な家庭の子供でも、家や学校の寮で大人の身勝手に振り回されていました。
そうした意識の変革を促したのが、トマス・コーラムという人物です。彼は養育院を設立し、貧しくて育てられない子や人には云えない不義の子などを引き取りました。世間にとっては、コーラムへ入ることさえ出来ればちゃんと育ててもらえるという安心の場所だったのです。
物語は2部構成です。前半に出てくる少年は3人。
1人は躰ばかり大きくて頭の弱いミーシャク。彼の父は鍋釜を売り歩く裏で子供たちを集めます。コーラムへ連れて行くという名目で、多額のお金とともに引き取るのです。もちろん子供たちはコーラムになど行けません。亡くなったり殺されたり売られたり。
ミーシャクは確かに頭の弱い子ですが、この罪を悲しみ絶望しています。
もう2人はグロスター大聖堂の聖歌隊員です。
音楽の才能に恵まれているけれど、領主の跡取りであるがために夢を諦めなければならないアレクサンダー。貧しい出ながらアレクサンダーと親しくなり、共に音楽の道を志すトマス。
夢と意思と情熱と友情と。
彼らの道は少しずつ絡み合っていきます。目を覆いたくなるような惨い場面も多々ありますが、しっかりと根を張った語り口に惹き込まれ、ページを繰る手が止まりません。
ぱっくり口を開けた絶望の淵に彼らが転がり落ちようとした瞬間、強烈な転換点を迎えて第1部は幕を閉じます。
第2部はそれから8年後です。
あの3人がどうなったのか解らぬまま、コーラム養育院が主要な舞台となります。
ここで2人の少年が主役に変わります。
両親も知らずにコーラムで育ち、歌うことに心惹かれるアーロン。奴隷船に乗った母と別れてコーラムへ来た黒人の少年トビー。
富裕層の間では黒人の少年はペットとして大人気です。トビーはパーティーの度に呼ばれていっては彼らの玩具にされます。きれいな衣装を着られるトビーをコーラムの子たちは羨みますが、彼自身は人間として扱われない悲惨さを心に溜めてゆくばかりです。
彼ら2人がコーラムを出てそれぞれ歩き出した時、時間を止めていた第1部の物語が動き出して、大きなうねりが起こります。
子供たちが泥水にまみれるような無情な世界を救うのは、全編を覆うボーイソプラノの響きです。歌う場面が何度も出てきて、その度に沈みがちな気分を浄化されるようでした。
とある大作曲家も登場。あの大曲を上演します。実際にコーラム養育院で演奏された曲です。CDを取り出さずに入られません。
クライマックスの活劇シーンが唐突な印象を与えること、そこからラストへの繋がりがやや苦しいことが難点ではありますが、それを補って余りある力を備えた作品です。
ルビが多めで「10代〜」と書いてありますから児童書になりますけれど、大人にも読み応えのある内容だと思います。
ディケンズの『オリバー・ツイスト』
を彷彿とさせます。少年たちが道端を歩く場面では『オリバー〜』の映画
をイメージしていました。
あ、たった今思い出しました。チャールズ・パリサーの『五輪の薔薇』
も雰囲気が似ています。
あんな感じで「18〜19世紀、イギリス、少年、聖歌隊」などの言葉にしっぽがピンッと反応する方にはぜひお薦めしたい1冊です。
天上へ向かう歌声響かせ、懸命に生きる子らのもとに光あれ。
そう祈る思いで読みました。

ずっと気になっていた本でした。物語が重そうで分量もそこそこあったものですから、また今度また今度と延び延びになっていました。そして、もっと早く読めば良かった! とちょっぴり後悔です。
18世紀イギリスを舞台に、厳しい現実に抗いながら必死に生きる少年たちのお話です。
原題は『Coram Boy』。コーラムとはロンドンに実際にあった養育院です。当時のイギリスでは子供たちは大変厳しい状況に置かれていました。幼いうちからの労働、虐待がはびこり、それが悪いことであるという意識もなかった時代です。裕福な家庭の子供でも、家や学校の寮で大人の身勝手に振り回されていました。
そうした意識の変革を促したのが、トマス・コーラムという人物です。彼は養育院を設立し、貧しくて育てられない子や人には云えない不義の子などを引き取りました。世間にとっては、コーラムへ入ることさえ出来ればちゃんと育ててもらえるという安心の場所だったのです。
物語は2部構成です。前半に出てくる少年は3人。
1人は躰ばかり大きくて頭の弱いミーシャク。彼の父は鍋釜を売り歩く裏で子供たちを集めます。コーラムへ連れて行くという名目で、多額のお金とともに引き取るのです。もちろん子供たちはコーラムになど行けません。亡くなったり殺されたり売られたり。
ミーシャクは確かに頭の弱い子ですが、この罪を悲しみ絶望しています。
もう2人はグロスター大聖堂の聖歌隊員です。
音楽の才能に恵まれているけれど、領主の跡取りであるがために夢を諦めなければならないアレクサンダー。貧しい出ながらアレクサンダーと親しくなり、共に音楽の道を志すトマス。
夢と意思と情熱と友情と。
彼らの道は少しずつ絡み合っていきます。目を覆いたくなるような惨い場面も多々ありますが、しっかりと根を張った語り口に惹き込まれ、ページを繰る手が止まりません。
ぱっくり口を開けた絶望の淵に彼らが転がり落ちようとした瞬間、強烈な転換点を迎えて第1部は幕を閉じます。
第2部はそれから8年後です。
あの3人がどうなったのか解らぬまま、コーラム養育院が主要な舞台となります。
ここで2人の少年が主役に変わります。
両親も知らずにコーラムで育ち、歌うことに心惹かれるアーロン。奴隷船に乗った母と別れてコーラムへ来た黒人の少年トビー。
富裕層の間では黒人の少年はペットとして大人気です。トビーはパーティーの度に呼ばれていっては彼らの玩具にされます。きれいな衣装を着られるトビーをコーラムの子たちは羨みますが、彼自身は人間として扱われない悲惨さを心に溜めてゆくばかりです。
彼ら2人がコーラムを出てそれぞれ歩き出した時、時間を止めていた第1部の物語が動き出して、大きなうねりが起こります。
子供たちが泥水にまみれるような無情な世界を救うのは、全編を覆うボーイソプラノの響きです。歌う場面が何度も出てきて、その度に沈みがちな気分を浄化されるようでした。
とある大作曲家も登場。あの大曲を上演します。実際にコーラム養育院で演奏された曲です。CDを取り出さずに入られません。
クライマックスの活劇シーンが唐突な印象を与えること、そこからラストへの繋がりがやや苦しいことが難点ではありますが、それを補って余りある力を備えた作品です。
ルビが多めで「10代〜」と書いてありますから児童書になりますけれど、大人にも読み応えのある内容だと思います。
ディケンズの『オリバー・ツイスト』
あ、たった今思い出しました。チャールズ・パリサーの『五輪の薔薇』
あんな感じで「18〜19世紀、イギリス、少年、聖歌隊」などの言葉にしっぽがピンッと反応する方にはぜひお薦めしたい1冊です。
Mon.
10.22.2007
les plantes
ラジオ講座の応用編「博物誌」の1回目です。
文学テキストはジャン=ジャック・ルソーの『孤独な散歩者の夢想』でした。
これとシリトーの『長距離走者の孤独』がいつもごちゃまぜになってしまいます。
邦題が似ているだけなのですが。
録音したのを聞いてみると、テキストにないお話がいろいろ出てきました。
せっせとディクテに励んで書き込みです。ここにも書いてみようと思いますので、おかしなところがあったらご指摘いただければ幸いです。
Aidez-moi, s'il vous plaît です。
放送中の講座の話題ではありませんから、「つづき」にしまっておきます。
文学テキストはジャン=ジャック・ルソーの『孤独な散歩者の夢想』でした。
これとシリトーの『長距離走者の孤独』がいつもごちゃまぜになってしまいます。
邦題が似ているだけなのですが。
録音したのを聞いてみると、テキストにないお話がいろいろ出てきました。
せっせとディクテに励んで書き込みです。ここにも書いてみようと思いますので、おかしなところがあったらご指摘いただければ幸いです。
Aidez-moi, s'il vous plaît です。
放送中の講座の話題ではありませんから、「つづき」にしまっておきます。